ドアを開いた人たち
山口 宏明さん(福島市出身。2020年6月、横浜市からUターン。1児の父。元システムエンジニア)
私は福島市出身です。6年前に横浜市からUターンしました。家業の承継を見据え、一社員としてトラック配送と営業を担当しています。
🔶夏はキャンプ、冬はスキー場へ
子どもの頃を振り返ると、「福島を出たい」と思ったことはありませんでした。夏は家族で猪苗代湖へキャンプに行き、冬は吾妻や栗子、箕輪のスキー場へ出かけていました。そんな休日が当たり前で、不便さを意識することもなく楽しく過ごしていました。
家には幼い頃からパソコンがありました。中学生になるとWindows95の登場を機にパソコンブームが起こり、私も夢中になりました。雑誌の付録のゲームで遊んだり、プログラミングをしたりする時間が何より楽しく、将来は県内の理系大学へ進もうと考えていました。
転機になったのは高校3年生の三者面談です。先生から「東京の大学は目指さないのか」と聞かれました。ちょうど姉が東京で大学生活を送っていて、その話を聞くうちに、「一度くらい外の世界を見てみたい」と思うようになりました。大きな決意というより、自然な流れの中で決めた進学だったと思います。
🔶システムエンジニアに
大学では全国から集まった仲間と出会い、価値観が大きく広がりました。卒業後は横浜のソフトウェア開発会社に就職し、尊敬できる先輩や趣味の合う仲間に恵まれ、「このまま関東で暮らしていくのだろう」と思っていました。ただ、お盆や年末年始に福島へ帰るたび、時間の流れのゆっくりさや、車を少し走らせれば山や温泉へ気軽に行ける環境、おいしい米や果物の味にほっとする自分がいました。
電車でどこへでも行け、お金はかかるけれど、おいしい物を食べられる横浜の暮らしも好きでした。一方で、福島にも自分らしく過ごせる時間があることに、離れて初めて気づいたのです。
家業について、両親から後を継ぐように言われたことは一度もありませんでした。父自身、自分の意思とは関係なく継いだ経緯があり、私には同じ思いをさせたくなかったそうです。それでも親戚からは「いつ帰ってくるの」とたびたび聞かれ、心のどこかで将来について迷う自分もいました。
🔶きっかけは東日本大震災
そんな気持ちが福島に傾くきっかけになったのは、2011年3月の東日本大震災でした。両親に「何かできることはない?」と連絡すると、「線量計が欲しい」と言われました。必死に探して送ったものの、遠くにいる自分にできることの少なさを痛感しました。その頃から、「いずれは福島に戻って家業を手伝いたい。将来、結婚して子育てするなら、福島の方が自分に合っている」と思うようになりました。
その後、結婚し、子どもが生まれた頃に新型コロナウイルスの感染が拡大しました。妻と子どもは里帰り先の新潟で、私は横浜で一人暮らしをしていました。仕事も忙しく、このまま互いの両親から離れた地で子育てをしていく姿を思い描くことができませんでした。「いつかは家業を継ぐ」という思いが、「戻るなら今しかない」という決断へ変わっていきました。(つづく)(20260903)

※tenten 結婚や、パートナーやご自身の転勤、そしてUターン等により地域に転入した方々(主に女性)の転入後の暮らしのサポートを行う団体です。転入・転勤・Uターン者が「来てよかった」「戻ってきてよかった」と思える社会を作るために、私たちは地域に来た女性の入口となり、居場所と役割をもって自分らしく一歩を踏み出せるきっかけをデザインする活動を行っています。詳しくはこちらのWEBサイトをご覧ください。
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