ドアを開いた人たち
馬藤 有希恵さん(会津若松市出身。8年前にUターンし、石川県出身の男性と出会い結婚。5歳、2歳の男の子と4人暮らし。高校教員。40歳)
🔶まるで「日本昔ばなし」の世界
私の原点は母の故郷である昭和村にあります。物心ついたころから週末はほとんど昭和村で過ごしました。祖父がマタギ(地元では「くまぶち」と呼ばれていました)だったので幼いころから捕獲した熊の血を抜いたり、毛皮を剥いだりするのを手伝いました。「私も一緒に山に行きたい!」と祖父に頼んだことがあります。「女は山に入ってはいけない」「狩りを前に山の神様にお祈りに行くときも誰にも見られてはいけない」とマタギのルールみたいなものを教えてもらいました。幼い私にはそれが当たり前の世界でした。
小学生のころ、私はアレルギー性鼻炎と蓄膿症に悩まされていました。昭和村の祖父がそんな私に「ヤドリギ」を煎じて飲むと治ると言って、雪深い山からとってきたものを母が煎じて毎日飲ませてくれました。(なんとその後完治!)ヤドリギは積雪より高い位置にできるので雪深い昭和村で採るのは決して簡単ではありません。今思えば祖父は孫の私のためにとってきてくれたのだろうと思うと愛情の深さを感じます。他にも「熊の油は何にでも効く」と、よく持たせてくれました。今も使っています。一人暮らしをしていた時に送られてきたこともありました。
祖母は毎日畑仕事、大叔父や大叔母はカスミソウ農家でした。家族や親戚が大自然の中で働き、苦労を決して他者に見せない姿が強く印象に残っています。今振り返ると、まるで「日本昔ばなし」に出てくるような世界で育ったのだと思います。現代社会で暮らしているからこそ、そのことを強く感じます。父方の祖父は宮大工で会津若松市内や近隣の県に祖父が建てた建造物が今も残っています。そんな環境で育ったことを誇りに思っています。
🔶謎のアイデアとエネルギー
中学生になると、学校が好きになれず、通う意味を見失いかけていました。反抗期だったのだと思いますが「今日はこんな青い空なのになんで教室にいなければならないのだろう」「ルールが多すぎて窮屈」。そんなことばかり考えていました。ある日「そうだ!私が教師になればいいんだ!」という謎のアイデアとエネルギーが沸き上がりました。今思えば反抗期から生まれた不思議な発想だと思います。でもその思いをきっかけに高校、大学へ進むことを決め、勉強を始めました。勉強があまり得意ではありませんでしたが、近所にあった英会話教室のおかげで外国や英語は大好きでした。そこで英語中心に学べる高校を探し、郡山の高校を受験し、進学しました。(つづく)(20261008)

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