福島アンテナ
石川 丈博さん(会津坂下町出身。2020年8月にUターン。元証券マン)
■大学受験に失敗
「試験会場までの切符は買ったんだけどな」
会津坂下町で兼業農家を営みながら私を育ててくれた父が、そうこぼしたことがあります。父は高校生の頃、夏休みになると親戚の農場でホップ収穫のアルバイトをしました。貯めたお金で大学の受験料を支払い、試験会場までの汽車の切符を購入したそうです。しかし入学金や授業料までは工面できず。試験会場に向かう雪の朝、父は会津坂下駅のホームで受験票を握りしめたまま、大学進学をあきらめたのだと打ち明けました。
そんな父の想いを受け、私は地元の進学校に進みました。しかし、当時の私はサッカーに明け暮れ、練習がない日はガールフレンドを誘って神明通りで遊んでいるような浮ついた高校生でした。案の定、受験には失敗してしまいました。私は、初めて父の前で手をついて謝り、1年間予備校に行かせてほしいと願い出ました。父は「わかった」とだけ言ってくれました。
■大手証券会社へ
1年間の浪人を経て早稲田大学に合格しました。保護者として入学式に出席した父は新宿のホテルに戻ると、控えていたお酒をその日は解禁し、ビールを一口。「美味いな」と言って東京の夜景を眺めていました。私は、父の果たせなかった夢を叶えることができた思いがして得意になっていました。
しかし、憧れのキャンパスで私を待っていたのは劣等感でした。「私、絶対、新聞記者になんねん」「石川君は何になりたいん?」。大阪出身の同期の問いに、私は答えることができませんでした。周りには明確な目標に向かい努力を重ねる学生であふれていました。彼らとの日々が私を成長させてくれたのだと思います。
卒業後、大手証券会社に入社を許されました。当時は「貯蓄から投資へ」の政策で証券業界の注目度が高まっていた時期でした。初任給や生涯賃金が高いことも、私には魅力的に映りました。福島に戻ることも考えましたが、「こちらは心配するな」と、父が背中を押してくれたのでした。
■一本の腕時計
中堅社員となった頃、妻との結婚の挨拶のため会津に帰りました。父はテーブルいっぱいにご馳走を用意して彼女を出迎え、自分のことのように喜んでくれました。しかし、父と彼女が会ったのはその日が最後となってしまいました。翌週、父の訃報が届いたのです。以前患った癌が再発していました。
遺品の中に、一本の腕時計がありました。高価なものではありません。私が初任給で父に贈ったものでした。よく手入れされて大切に使われていました。(つづく)(20260611)

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