ドアを開いた人たち
石川 丈博さん(会津坂下町出身。2020年8月にUターン。元証券マン)
■母の上京
「あら!まだあんなに人が乗ってる!」
その日は母が会津から出て来るというので、1日休みを取って東京駅に迎えに行きました。浅草やスカイツリーを巡り、日本橋の天ぷら屋で食事をした帰りでした。私達の車が荒川の橋に差し掛かったとき、隣の鉄橋を東西線の電車がゆっくりと追い抜いて行きました。金曜日の夜9時頃、乗客は肩を寄せ合い、皆スマートフォンに視線を落としていました。私には見慣れた光景で、その日、休みを取らなければ私も乗客の1人になっていたと思います。
「お前もあの汽車に乗ってるのかい?」
母の問いに「ああ電車ね。そう、毎日このくらいだね」。忙しいときには終電間際になることもあるのですが、そのことは黙っていました。
私はその頃、大手証券会社に勤務し、研究員として大学との共同研究に従事していました。息子が生まれたというのに、なかなか母に会わせる機会を作れないまま1年が過ぎていました。 「お前が決めたのならそうしなさい」。母はそう言って、私の進路に口を出したことはありません。
■出社前の言い争い
それは息子の幼稚園選びを始めた頃でした。父の法要のために会津に帰り、夜は母を囲んでバーベキューをしました。「困った」。母は、ずっとうつむいていました。目の疾患で車の運転が難しくなったというのです。その頃、母は祖母の介護をしていて「おばあちゃんを病院に連れて行くこともできない」と沈んでいました。
私は、困りきった母の表情が頭から離れず、何とかしなければと悩みました。妻に相談をしましたが、初めは取り合ってもらえませんでした。私が会社を辞めて帰郷することを考えていると分かると、毎朝、出社前の15分が言い争いの場になってしまいました。
■「何とかなりそう」
そんな状態がひと月も続きました。その日も夜遅くに帰宅すると、暗い玄関に大きなキャリーバッグと子供用のリュックサックが置いてありました。私は「ついにこの日が来てしまったか」と覚悟しました。しかし、すぐに妻が自室から出て来て言いました。「明日から会津に行ってお義母さんを手伝ってくる。町の様子も見てくる」。妻の決意が有難くて涙が溢れました。
2週間後、新幹線のホームに妻子を迎えに行くと「何とかなりそう。お義母さんのところに行こうか」。妻は笑顔で言いました。妻のノートには私の生まれた町の学校や病院、スーパーマーケットに売っているものまでびっしりと書かれていました。
私は、20年ぶりに生まれ故郷の会津に戻ることを決めました。(つづく)(20260618)
【写真説明】新幹線を待つ妻と息子

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