UIターン#10/8月「仕事を全部ゼロに」<原点>

UIターン#10/8月「仕事を全部ゼロに」<原点>

ドアを開いた人たち

 矢吹 哲郎さん(郡山市出身。首都圏で会社員勤めをした後、2023年、南相馬市にJターン。合同会社Hidane代表)

 はじめまして、矢吹哲郎と申します。福島県郡山市出身で、高校まで郡山で育ち、大学進学を機に沖縄へ行き、卒業後は東京で就職しました。2009年から約14年間、神奈川と東京で暮らし、2023年にJターンという形で南相馬市に移住しました。現在は地域活性化に関わる仕事をしていて、福島県全域で活動しています。

 🔶「福島から出たい」気持ちが大震災で変化

 福島に対して、正直あまり良い印象を持っていませんでした。学生の頃はずっと閉塞感があって、この場所から出ないと自分の人生は始まらないと思っていました。大学で県外に出たのも、行き先に惹かれたというより「福島から出たい」という気持ちが大きかったです。

 その気持ちが変わったのが、2011年3月11日でした。当時、社会人2年目で、勤めていた東京の会社のビル8階におり、大きな揺れが怖かったのを覚えています。会社から「もう帰っていいよ」と言われて、正直、早く帰れてラッキーくらいに思っていました。幸い、電車も動き自宅に帰ってテレビをつけると、津波の映像が流れて、「何が起きているんだ」と絶句しました。親に電話をかけても、メールを送っても、つながらない、返事も来ないという状況でした。そして東京電力福島第1原発が爆発したニュースが流れました。

 福島がどんな状況なのか分からず、こんな形で繋がりが突然断ち切られてしまうことが信じられませんでした。あれだけ嫌で二度と戻る必要はないと思っていた福島が、本当になくなるかもしれないと思った瞬間、自分がすごく故郷を大切に思っていたんだ、ということに気づきました。

🔶「自分はどこで生きていきたいのか」

 でも、時間が経った後も、ボランティアに行くのも何か違う気がして、結局行動できず、「何もできなかった」という後悔と無力感が、ずっと自分の胸に残っていました。

 それから何年もたち、2020年に個人事業主として独立し、全国で活動し始めると、東京に住み続ける意味が希薄になってきました。「自分はどこで生きていきたいのか」を真剣に考えるようになりました。

 そんな中、伊達市で桃農園を経営する景井愛実さんとのご縁から福島各地を案内してもらい、何度も足を運ぶうちに福島への解像度が上がり、ずっとやりたかった街づくりに関わろうと決め、2023年、仕事を全部ゼロにして福島に戻ってきました。

 戻る場所は生まれ故郷の郡山ではなく南相馬市を選びました。今まで浜通りを訪れたことはほとんどありませんでした。だからこそ住んでみないと分からないこともあるだろうと思ったのと、震災がきっかけで自分の人生が変わったこともあり、あえてそこに身を置いてみたいと思って移住先に選びました。(つづく)(20260806)

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