【震災・原発事故15年】山木屋を藍の里に 東京のアパレルが来春に新施設 栽培、製造、体験も 福島県川俣町

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【震災・原発事故15年】山木屋を藍の里に 東京のアパレルが来春に新施設 栽培、製造、体験も 福島県川俣町

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養蚕と機織りで栄えた絹の里でジャパンブルーの藍製品作りが始まる。東京電力福島第1原発事故に伴う福島県川俣町山木屋地区の避難指示解除から10年となる来年4月、藍の栽培から染料作り、藍染め製品生産を一貫して手がける施設が誕生し、「川俣藍」創出を目指す。東京の企業が町の織物や染め物の文化に着目し、町内に縫製工場を持つ会社の意思を継いで進出、地域に根付く文化を製品開発に生かす考えだ。染め物体験工房を備える計画で、町は観光誘客による復興の後押しを期待する。施設はアパレル商品の製造・販売を手がけるフォーティファイブアールピーエムスタジオ(45rpm)が整備する。1977(昭和52)年に創業し、国内39店舗、海外21店舗でメード・イン・ジャパンにこだわったファッションアイテムを展開している。看板商品の藍染めジーンズをはじめ、Tシャツやジャケットなどを生産していく予定だ。敷地面積は約1・8ヘクタールで施設のイメージは【図】の通り。藍栽培の農地、藍染めの染料となる蒅[すくも]を作る寝床や小屋などを整備。商品開発、藍染め体験の工房を備え、生産体制とブランド力を強化する。総事業費は約6億円。国の自立・帰還支援雇用創出企業立地補助金の採択を受けた。従業員の半数の5人ほどを地元から雇用する予定だ。藍は根が深く、肥えた土で育ちやすいため、土壌を改良しながら生産する。地力を回復させる緑肥として、原発事故で生産が途絶えた後、本格的な栽培が再開した山木屋在来ソバ「高原の宇宙[そら]」も育てる。藍染め体験工房は江戸中期に建てられた古民家を滋賀県から移設して活用する。町の伝統が進出の決め手になった。川俣には紫草[むらさき]の根を使い絹織物を染める技法「根紫[ねむらさき]染め(紫根[しこん]染め)」がある。染め上げた絹織物は「川俣紫」「川俣根紫」と呼ばれ、高貴な人々に愛用されたと伝わる。45rpmの社員は染色技法を再現する住民などから技術を学んでおり、生産や商品開発に生かしていく方針だ。45rpmの取締役中島正樹さん(58)は「藍の産地化を進めたい」と誓う。進出には製品の生産で取引のある町内の製造業フクシマフロンティアが一役買った。1972年に町が初めて誘致した企業で、町内に二つの縫製工場を稼働させた。施設の予定地には以前、第2縫製工場が建っていたが、原発事故で稼働を休止。町内小神にある第1工場に従業員や製造拠点を移した。避難指示解除後、第2縫製工場の再開を目指したが、住民帰還が進まないなどの理由で計画を前に進めることが困難となっていた中、45rpmから事業展開の申し出があった。フクシマフロンティアの社長矢野正一郎さん(54)は「山木屋に再び産業の灯をともしてほしい」と思いを託した。施設稼働後は出来上がった藍染め生地を縫製するなどし、製品作りに協力していく。藤原一二町長は「町伝統の染め物文化に光を当て、山木屋の復興に向けた交流・関係人口の拡大につなげてほしい」と期待した。※藍染め奈良時代に日本に伝わったとされる。主に植物の藍から抽出した染料を使い生地を染める。古くは上流階級が身に着け、江戸時代に大衆に広まったが、19世紀末、安価な化学染料の普及で衰退した。藍色はサッカー日本代表のチームカラーや東京五輪のエンブレムにも採用された。