福島のニュース
何も言わずとも手助けをしてくれる、まめで気の利く2人だった。福島県相馬市の五十嵐ひで子さん(78)は、東日本大震災の津波で夫・利雄さん=当時(67)=と叔父・鉄弥さん=当時(84)=を失った。現在は市観光協会の語り部として、2人の生きた証しと命を守る大切さを訴えている。ひで子さんらは同市尾浜で同じ家に暮らし、小さな民宿を営んでいた。夫の利雄さんは無口だが思いやりにあふれていた。警備会社に勤務し、帰ってくると疲れたそぶりすら見せず、民宿の仕事を手伝った。ごみ出しや片付けなどを人知れずこなし、ひで子さんが「やらなきゃ」と腰を上げるころにはとっくに終わらせていた。「『かゆいところに手が届く』という言葉がぴったりな人だった」と、ひで子さんは目を細める。元漁師で叔父の鉄弥さんは、自分の流儀を重んじる性格で、特に掃除と向き合う時間を大切にしていた。民宿の廊下から家族の居住スペースまで、モップを手に黙々と磨き続けていた。お客用のスリッパを一足ずつ丁寧に拭き上げ、向きをそろえて玄関に並べた。80歳を超えると認知症の症状が見え始めたが、モップやほうきを持てば、たちまちきびきびとした動きになったという。ひで子さんは「年を取っても身の回りをきれいにする姿には頭が下がった」と振り返る。あの日、大きな揺れが民宿を襲った。物が落ち、家具が倒れた。ひで子さんの頭の中は「お客さんが来るまでに、元通りにしてお迎えしなきゃ」という考えでいっぱいだった。程なくして利雄さんが勤務先から戻り、一家は室内の片付けに取りかかった。何かがおかしかった。鉛色の空、重い空気、消防団員の「逃げろ」という呼びかけ。ひで子さんは足の悪い鉄弥さんを、利雄さんと一緒に支えながら外に出た。津波はもうそこまで迫っていた。黒い水に体を持ち上げられた。「何かにつかまれ」「水を飲むな」と声をかけ合った。だが、濁流にのまれ、つないでいた手がほどけた。鉄弥さんと利雄さんは波の中に消えてしまった。九死に一生を得たひで子さんは、「私がすぐに逃げようと言っていれば」と幾度となく後悔にさいなまれた。目の前で肉親を失った経験を語り部として伝えてほしいと友人に頼まれたが、気が進まなかった。波にさらわれた利雄さんが「ひで子ー!ひで子ー!」と、必死に叫んでいたのを思い出した。寡黙な夫は普段、妻の名前を全く口にしなかった。「おまえは生き残って、人の役に立て」と言われていたような気がした。利雄さんに背中を押され、ひで子さんは語り部として歩み出した。「自分の命は自分で守ること。大きな声で『逃げっぺ』と口に出すこと」。震災を知らない子どもや県内外の人々に語り継ぐ。在りし日の2人の姿を思いながら話すと今でも涙が頰を伝う。利雄さんが黙ってごみ出しを済ませたように、鉄弥さんがスリッパを整然と並べたように、ひで子さんは相手の気持ちになって丁寧に言葉を紡ぐ。

