福島便り
一般住宅から伝統建築物に至るまで、福島県民の暮らしに古くから根差してきた福島県の畳文化が岐路に立たされている。近年、業界は生活様式の洋風化とともに需要が落ち込み、担い手となる若い職人の不足にあえぐ。東北地方の認定職業訓練校で唯一、畳工を養成する福島共同高等職業訓練校(福島市)は今春、畳科の入校者が11年ぶりに途絶えた。卓越した技能を持つ人材の減少は、神社仏閣などの将来的な保全にも影響しかねない。後継者をどう育て、職能を後世に残すか。29日の「畳の日」を前に後継者育成の現場や業界の現状を取材した。
福島市南部の山あい、旧立子山中校舎に3年課程で技能を身に付ける訓練校がある。教室に入ると、3年の狩野泰幸さん(31)=本宮市=が針先に力を込めていた。分厚い畳の本体に「へり」を丁寧に縫い付けていた。2年前に実家の「かりの畳店」に入った。手仕事でものを仕上げる職人の仕事を学びながら、やりがいを感じている。Uターンし、家業を継ぐ決断に至ったのも訓練校の存在が後押しになった。ただ、同輩は少なく、在校生は狩野さんを含め2人だけだ。教室もこの日は狩野さんだけだった。
同校ではかつて多い時で年間7、8人を受け入れていたが、今では後継者を中心とする入校者集めに悩む。2014(平成26)年度に門戸を県北から全県に広げたものの、数人どまりが続いていた。畳科長の宗像良雄さん(74)=福島市・宗像畳店社長=は、畳科が開設から半世紀以上にわたり、OBが次の世代の若手へと伝える循環を築く役割を担ってきた点を強調。「学ぶ生徒が減れば、正確な指導ができる人材も減るだろう」と嘆く。
県畳工業組合によると、住宅事情の変化で畳からフローリングに置き換わり、畳の生産量も年々減少している。畳店が加盟する組合の会員も現在は70人ほどで、1980年代の約500人から5分の1以下に落ち込んだ。代替わりを諦めるケースもあり、継承する若者の減少が入校生の減少に跳ね返る。
畳の生産現場では機械化が進む一方、寺院や神社など伝統的な建造物に敷かれた畳の新調・修復には手縫いならではの精緻な技が欠かせない。畳製作は国連教育科学文化機関(ユネスコ)の無形文化遺産「伝統建築工[こう]匠[しょう]の技
木造建造物を受け継ぐための伝統技術」をなす17分野の一つ。県畳工業組合の中島三喜理事長(77)=南相馬市・中島畳内装会長=は「(畳製作は)地域の伝統建築を支える仕事の一つで、理解を広めていかなければならない」と訴える。
ふくしま歴史資料保存ネットワーク代表で福島大行政政策学類の阿部浩一教授は、訓練校が高度な技を学べる希少な存在であるとし「子どもたちに畳の魅力に触れる機会を増やすなどの工夫を通じ、担い手の確保につなげてほしい」と願った。※認定職業訓練校
職業能力開発促進法に基づき、都道府県から認定を受けている。民間企業の従業員らが専門的な知識や技能を身に付ける。福島共同高等職業訓練校は県北地方の建築関連団体で構成する福島職業訓練技能協会が運営する。県内の職業訓練校には県清酒アカデミー職業能力開発校や会津漆器技術後継者訓練校など計15校がある。