福島便り
福島県須賀川市のライター佐藤美郷さん(38)は4月上旬、第1子を出産した。約4年間に及ぶ不妊治療を乗り越え、母親となった。
慣れない授乳に、短い睡眠時間。新生児との暮らしは心身とも休まる暇がない。それでも会社員で夫の聡さん(37)と2人、待ち望んだ末に迎えた命の尊さをかみしめている。「医大の先生や看護師さん、いろいろな方々に支えられ、ここまで来られた。生まれてきてくれてありがとう」。腕の中で眠るわが子を見つめた。
南相馬市小高区出身。原町高から語学を学ぼうと玉川大文学部に進んだ。卒業後は語学力を生かし、航空会社に入社した。2年後に起きた東日本大震災と東京電力福島第1原発事故が人生の転機となった。「いつかは福島の役に立ちたい」との思いで全国を巡り、さまざまな仕事をしながら地域活性化などに携わった。
2019年に東京から聡さんの古里、須賀川に移り住んだ。ライター業を続けながら空き家を改修し、ゲストハウス「Nafsha(ナフシャ)」をオープンした。不妊治療を始めたのは移住して2年が過ぎた2021(令和3)年1月だ。生活が落ち着いたタイミングや、30代半ばに差しかかる年齢を考えて夫妻で決めた。
まず戸惑ったのは、県内で不妊治療を受ける際の選択肢の少なさだ。郡山市のクリニックで人工授精を3回試したが、かなわなかった。次のステップに進もうとしたが、体外受精以上の「生殖補助医療」を提供する医療機関は限られる。紹介状を書いてもらい、福島医大生殖医療センターに転院。生殖補助医療に当たる体外受精、顕微授精を経て妊娠に至った。
細かい体調管理や治療費、「1日がかり」に及ぶ診察の待ち時間…。治療には肉体的、精神的、経済的な負担を要した。文章力を生かし、治療中に感じた悩みや環境改善に向けた願いを交流サイト(SNS)でつづった。発信を続けたのは「自身の経験が、同じような境遇にいる誰かの役に立てば」との思いからだ。
不妊治療を巡る問題は医療現場だけではない。女性の社会進出や晩婚・晩産化に伴い、不妊に悩む男女は珍しくなくなった。医大の待合室の混み具合からも、ニーズの高さがうかがえる。一方、治療につながる機会の少なさやUターン後に見聞きしてきた就労環境、人々の振る舞いからは「男性優位な地域性」を感じている。
不妊治療はパートナーに加え、職場など周囲の理解なしには続けられない。佐藤さんは「自分は自営に近い働き方だから通院時間を融通できた。会社勤めの方などは、もっと難しいのではないか」と思いやる。
不妊治療の当事者を、特別視してほしいわけではない。ただ、「子どもを望む人が『産みやすい社会』とは、どんなものかを一緒に考えてほしい」。女性の体や不妊の悩みへの理解が広がり、人々の意識が変わっていくよう願っている。