【震災・原発事故14年】古里へ誘う黄色の波 福島県浪江町津島地区に菜の花畑 営農再開の促進期待

  • [エリア] 相馬市 南相馬市 浪江町
【震災・原発事故14年】古里へ誘う黄色の波 福島県浪江町津島地区に菜の花畑 営農再開の促進期待

福島便り


福島県浪江町津島地区に大規模な菜の花畑が誕生した。東京電力福島第1原発事故に伴う帰還困難区域のうち、特定復興再生拠点区域(復興拠点)として避難指示が解除された地域にある。田畑の管理に取り組む地元の復興組合が約1ヘクタールの農地に種を植え、今年初めて鮮やかな黄色の花を付けた。避難指示が解かれて2年余り。地区内への帰還や移住が進まない状況の中、関係者は「津島の新たな名所になれば」と思いを寄せる。
「つしまの菜の花畑」。つしま活性化センター前を通る国道114号沿いに、住民が手作りした黄色の看板が掲げられている。道なりに100メートルほど歩くと、菜の花が一面に咲き誇る。昨年10月に組合で約10キロの種を購入して植え始め、順調に生育。5月中旬ごろまで見頃が続く見通しだ。
「にぎわいを取り戻したい」。昨春、復興組合の会合で話題に上がった。2023(令和5)年3月に避難指示が解除された津島地区の復興拠点は、住民登録者数107世帯236人に対し、居住者数が11世帯17人(3月末現在)。定期的にイベントが開かれ、にぎわいが生まれつつある一方、人がさらに集まるには「何かが必要」と感じていた。
話し合いを重ね、豊かな自然を生かした花の植栽に行き着いた。山間部に位置する津島地区にはかつて、色とりどりの花々が各地に咲いていた。「鮮やかな原風景を再び作り出せば、多くの人が足を運ぶきっかけになる」と考えた。
花の品種に菜の花を選んだのは、荒れた田畑の地力回復に効果があるとされているから。津島地区は農業が盛んな地域だった。ただ、現在は長期避難などにより荒れた土地が点在する。農地を復活させ、農業発展につなげたい―。菜の花の植栽が将来的な営農再開のための一助になればと願う。■復興組合
末永さん「人呼ぶ起爆剤に」
菜の花畑の手入れを担うのは津島地区出身で復興組合員の末永利和さん(33)。古里の力になろうと、畑の整備を買って出た。「津島に人を呼び込む起爆剤にしたい」と地域の明るい未来を描く。
原発事故で古里を離れるまで20年近くを津島で過ごした。専業農家の家系で育ち、幼少期から農機具を動かすのが好きだった。豊かな自然、澄んだ空気は今も忘れられない。組合で菜の花畑を作り始めると話題に上ると、種植えから手入れまでの作業を進んで引き受けた。
当時住んでいた南相馬市から組合が管理する農地に定期的に通った。背丈ほどまで伸び切った雑草を刈り取った上で種を植えた。4月からは浪江町の中心部に移り住み、手入れに向かった。下旬に入ると少しずつ花が開き始め、「本当に良かった」と安[あん]堵[ど]した。
菜の花が咲き誇る周辺は、今後解体される津島小や津島中が立つ。末永さんは花々と共に「今しか見られない風景を心にとどめてほしい」と、地域の現状を実感できる場にもしたい考え。将来的には古里に帰還し、別の場所にも花の名所をつくる構想を描く。住民と協力し、花や緑にあふれる津島を取り戻す決意だ。
「『津島は良いところなんだ』『前を向いて頑張っている人がたくさんいるんだ』と伝えたい」。かれんな花に願いを込める。