福島便り
苦節21年―。合格率1%とされる分厚い壁にはね返され続けた福島県剣道界のレジェンド剣士が悲願をかなえた。県警OBで県剣道連盟理事長の武藤士津夫さん(67)=福島市=は1日、剣道最高段位の八段審査に合格した。県内からは12年ぶり、県警出身者としては約30年ぶりの快挙。1991(平成3)年に30代で世界剣道選手権大会個人戦で頂点に輝きながら、最高段位までは遠い道のりだった。「自らの心技体を鍛え、後進育成に力を入れたい」。さらなる高みを見据えている。
剣道との出会いから56年。「人生のほぼ全てを剣道にささげてきた」。下郷町に生まれ小学5年時に、4歳年上の兄・勝則さんに憧れて競技を始めた。すぐに頭角を現し、各大会で優勝を果たすなど数々の実績を残した。剣道に打ち込める環境を求め、田島(現南会津)高卒業後に県警に入った。長年、機動隊に所属し特別訓練員として剣の腕を磨いてきた。
30歳の頃、転機が訪れる。全日本剣道連盟の強化選手に選ばれた。全国の猛者たちとしのぎを削り、33歳で初めて挑んだ世界大会。全日本王者らを次々と破り、世界の頂に立った。翌年には七段に昇段。順風満帆の剣道人生に見えた。
国内で八段を有する剣士は、全日本剣道連盟によると、4月末時点の有段者登録数208万7937人のうち、わずか818人(0・039%)。合否は高度な技量や練度、品位などを総合的に判断し決められる。剣道界では「神の領域」とも言われる。八段昇段審査を受ける条件は、七段合格後に10年以上の鍛錬が必要な上、満46歳以上でなければならない。
武藤さんは21年前の2004年、受審資格を得た。50歳には合格するだろう―。実績に裏打ちされた自信があった。だが、周囲からの「合格して当然」との無言の圧力に武藤さんの「気」が乱された。はやる気持ちが所作を乱し、暗く長いトンネルに入った。愛妻からは「もう無理しなくてもいいよ」と諭された。ただ、剣道界や支えてくれた家族に恩を返したい。折れそうな心を何度も奮い立たせた。
恩師で県警OBの梅宮勇治・八段=2023年に死去=に助言を求めた。「基本に立ち返ることが大事」。その言葉で、我に返った。竹刀の握りや姿勢を見つめ直した。気を静め、自然体での立ち合いが身に付くようになった60代。「やっと剣道とは何か分かり始めた」と振り返る。
今月1日に京都市体育館で開かれた八段昇段審査会では892人中、自身を含め9人が合格。60代は6人、50代は3人だった。県内の現役剣士では6人目の八段到達者となった。「うれしいという感情よりも先に涙がこみ上げた」。最高段位を取得しても満足した様子はない。「100歳になっても競技会に出る人もいる。剣道への恩返しのつもりで技を磨いていく」