実は立派な人? 民謡「会津磐梯山」の放蕩人物・小原庄助さん 福島県会津若松市と長野県伊那市の有志が名誉回復へ

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実は立派な人? 民謡「会津磐梯山」の放蕩人物・小原庄助さん 福島県会津若松市と長野県伊那市の有志が名誉回復へ

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民謡「会津磐梯山」で放蕩[ほうとう]の人物として歌われる小原庄助さんを再評価しようとの動きがある。庄助さんの正体は諸説あるが、一つは会津松平家祖・保科正之の家臣だった小原の子孫で、保科から賜ったという杯が残る。保科正之の縁でつながる福島県会津若松市と長野県伊那市の有志は「実は立派な人だったに違いない」と“名誉回復”を掲げ、地域おこしにと意気込む。
「朝寝朝酒、朝湯が大好きで、それで身上つぶした―」。会津磐梯山の歌詞だ。元は古い俗謡の一節で、昭和初期に人気歌手が会津磐梯山をレコード化する際に挿入された。人物の諸説には材木問屋や会津塗師などがあり、保科の家臣もその一つ。調査している東洋文化財研究所(会津若松市)の松本日世さんは俗謡の時代背景などから家臣説に着目する。
保科正之は現在の伊那市にあった高遠藩の藩主を務めた後、会津藩主となった。藩政改革に加え、江戸の明暦の大火からの復興に尽くした名君だ。伊那市立高遠町博物館には、小原庄助と思われる人物が保科から賜ったと伝わる杯が展示されている。関係者は「杯を賜る功績があったはず」と思いをはせる。
なぜ、放蕩したと歌われているのか。松本さんは「実際に江戸で放蕩した高遠藩の人物が小原庄助と名乗ったのでは」と想像する。
松本さんらは庄助さんをたたえ、「伊那も会津も大好きで
それで大江戸守った―」などとする替え歌を作り、冊子にまとめた。伊那市の有志と連携し、会津の地で披露することを夢見る。
13日、活動を支援する会津復古会の笠間和歌子さんと松本さんらが室井照平市長に冊子を寄贈した。