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福島とモモは千年以上前の古代から、深いつながりがあった―。福島市平石にある西久保遺跡から、奈良時代の出土品と推定されるモモの種約200個が見つかった。古来より不老長寿や厄払いに御利益がある果物と信じられており、儀式や祭事の供え物として使われていた可能性が高い。市によると、モモを信仰に活用したとみられる痕跡が発見されるのは、東北地方では珍しい。専門家は当時の暮らしをひもとく重要な手掛かりになると期待する。
市によると、種は生活用水を使う場所または儀式の場とされる「水場遺構」の中や周辺で見つかった。大きさは約2~3センチと現代の種より小さく、果実は現在のウメと同じ程度だったという。土と水によって真空状態に保たれ、形状をとどめたと考えられる。
市の専門職員が他の遺跡から過去に見つかった同様の種と比較し、モモの種と判断した。市は西久保遺跡の水場遺構を、奈良時代(710~794年)の建造としており、モモの種も同じ時期に存在したと分析している。
専門家からは儀式で使用していたとの意見が上がる。奈良県立橿原考古学研究所学術アドバイザーの岡林孝作さん(62)は「古代の遺跡から、まとまった数のモモの種が出土した場合、『神まつりの儀式』と結びつけて考えるのが一般的だ」としている。まつりの中には大王(天皇)や豪族たちが穢[けが]れを清めるために水を使ったり、モモなどのささげ物をしたりする手法があったという。
数百~数千の種が見つかった例は西日本の古墳時代などの複数の遺跡で確認されている。3世紀とされる纒[まき]向[むく]遺跡(奈良県桜井市)で約2800個、5世紀とされる南郷大東遺跡(奈良県御所市)で約400個確認されている。約200個出土した西久保遺跡でも「モモに特別な意味がある」と推し量る。
日本考古学が専門の東北学院大名誉教授の辻秀人さん(74)=福島市出身=は「古墳時代以来の伝統的な水の祭[さい]祀[し]が奈良~平安時代まで行われていたと示す貴重な例だ」と評価する。
当時のモモは現代のように日常的に食べる物ではなかったと指摘。西久保遺跡にまとまった量があったことに注目し「祭祀のために近くで育てていたのだろう」と推測する。
栽培していたのかを確認しようと、市は今年度、遺跡内の土を分析し、モモの花粉の有無を調べる。モモを儀式に活用していた他の遺跡との類似点や供え物として使用していた時期の絞り込みを進め、現地説明会などで結果を市民らに解説する。
辻さんは今回の種と現在の県産モモのルーツは異なるとした上で、「ともに『モモ』と捉えれば、千年以上の歴史を示すことになる。国内外で注目を集める特産品のブランド化に役立つのではないか」としている。
県農業史によると、現在の県産モモの歴史は明治時代以降。1891(明治24)年ごろ、欧米や中国から導入された品種の栽培が現在の伊達市や桑折町の近辺で始まり、大正時代以降、養蚕業の不振で転換が進んだとされる。※西久保遺跡
奈良~平安時代の遺跡で、役所機能を持つとされる。国道13号バイパス「福島西道路」の南側への延伸に伴い、2023(令和5)年度から福島市が発掘調査を進めている。これまでに、東北地方の防備を担った兵士を指す「鎮[ちん]兵[ぺい]」の2文字が完全な形で確認できる全国初の木簡などが見つかった。