福島のニュース
「この地にいつの日か必ずや帰らなければならぬ―」。東京電力福島第1原発事故により故郷・福島県浪江町を離れ、2021(令和3)年に74歳で亡くなった詩人・根本昌幸さんの石碑が自宅前の若苗の緑が並ぶ田園風景に建てられた。望郷の念を込めた詩の一節が刻まれている。古里に帰還する夢はかなわなかったが、妻洋子さん(82)が五回忌に合わせて建立した。10日に一時帰宅した洋子さんは「ようやく帰れたね」と天国の夫へ思いをはせた。■妻洋子さん自宅前に建立
昌幸さんは浪江町苅宿で生まれ育った。10代から詩作に励み、これまで生命への深い愛情や原発被害者の心の叫びを描いてきた。東日本大震災前には娘をサーフィン中の事故で、娘婿を交通事故でそれぞれ亡くし、孫の郁[ふみ]弥[や]さん(22)を引き取って昌幸さんの母とともに4人で暮らしていた。
しかし、震災と原発事故の影響で故郷を奪われた。避難指示で自宅には戻れず、相馬市に洋子さんらとともに移り住んだ。避難先に友人は少なく、家から出る機会は減った。口数は少なかったが、浪江の思い出をよく口にしては、かつての暮らしを懐かしんだという。むなしさを紛らわせるように、黙々と創作活動に打ち込んだ。故郷を追われた悲痛な思いをつづった詩集「荒[あら]野[の]に立ちて」などを出版した。時には文学賞にも応募し、白鳥省吾賞一般の部優秀賞や県文学賞詩部門準賞も受賞した。
一時帰宅や除染作業の立ち会いで訪れたわが家は、泥棒や動物に荒らされ、変わり果てていた。かけがえのない娘やかつての友人らとの思い出が詰まった心のよりどころ。いつか戻ろうと決めて解体せずに残した。
2017(平成29)年3月末に自宅周辺の居住制限区域は解除されたが、郁弥さんの教育や医療環境への不安から帰還を断念した。ただその胸の内では石碑に刻まれた詩の言葉の通り「杖[つえ]をついても、地を這[は]ってでも帰りたかったことだろう」と洋子さんは推し量る。昌幸さんは故郷への思いを抱きながら2021年11月に病気でこの世を去った。
「帰りたいという願いを何か形にしてあげたい」。洋子さんが5月下旬、石碑を自費で建てた。詩集「荒野に立ちて」の中で町民の気持ちを代弁した一節を刻んだ。昌幸さんの運転免許証を石碑の下に埋めた。天国から自宅に戻ってこられるようにとのせめてもの気遣いだった。
石碑の前には震災後も変わらなかった一面の自然が広がり、遠くには常磐自動車道浪江インターチェンジにつながる国道114号が見える。「浪江町に帰ってくる人たちのことを見守っていてね」と願っている。