福島のニュース
難局打開に挑む福島県内の経営者、技術者、リーダーたちの道程は、世界情勢が混沌[こんとん]とする中、今を切り開く道しるべになり得る。それぞれに独特の発想、こだわり、生き方がある。挑戦者たちの流儀を追う。(文中敬称略・随時掲載)
エックス線や放射線などを吸収して発光する物質「シンチレータ」。放射線検出器として、エックス線検査や空港手荷物検査などに広く利用されている。
シンチレータの製造・加工技術を応用し、がんを早期発見する医療機器の開発に取り組む「未来イメージング」はいわき市内郷御厩町にある。
社長の薄善行(70)は根っからの技術者だ。非鉄金属・産業機械の大手メーカーで30年以上、シンチレータ開発に携わってきたが、会社は不採算を理由にシンチレータ事業から撤退した。医療機器分野での応用の可能性を諦めきれず、苦楽をともにしてきたチームを率いて開発を続ける。福島発の技術を国内外に送り出そうと奮闘している。
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東京都出身の薄は首都圏にある大学で金属材料などの研究に明け暮れた。1981(昭和56)年、都内に本社がある大手メーカーに入社した。
27歳の時だった。会社の研究所でシンチレータを初めて扱った。作るには手間も時間もかかったが、合成する物質の組み合わせ次第で光り方が変わる。その奥深さに魅了された。3年後、いわき市にある工場に異動となった。大学や研究機関向けの放射線測定器の開発などに携わった。
2003(平成15)年、転機が訪れた。チェコで開かれたシンチレータ関連の学会で、この分野の権威として知られる東北大金属材料研究所の吉川彰(現在教授)と出会った。同研究所は素材分野で世界最先端の名をはせていた。
吉川から「新しいシンチレータを開発したが、研究機関では量産ができない。協力してほしい」と持ちかけられた。その要望に応えると次は、シンチレータの技術を応用した乳がん検査機器の開発を打診された。
当時、乳がん検査の主流は乳房エックス線投影「マンモグラフィー」だった。ただ、乳房全体を写し出すために強く圧迫され、受診者によっては痛みが伴う。乳がん検査が敬遠される要因となっていた。
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◆◆◆■痛くない検査機器開発
未知の領域「不安より好奇心」
「痛くない乳がん検査機器があれば、受診率が上がるかもしれない。がんの早期発見につながる」
医療機器分野は未知の領域だったが、不安よりも好奇心が勝った。2005年、茨城県にある会社の研究所で乳がん検査機器の開発に着手した。東北大との産学連携の取り組みだった。
がん細胞は正常な細胞に比べ、多くのブドウ糖を吸収する―。その特性に着目した。人体に影響がない微量の放射線を放つブドウ糖を静脈に注射し、がん細胞をピンポイントで検出できれば乳房を圧迫することなく、受診者の負担が少なくなる。検査着を羽織ったまま撮影できるのも利点だった。より高機能のシンチレータ「Pr:LuAG結晶」を採用し、1センチ以下の小さながん細胞を検出できるように改良した。
開発に着手してから10年近くの歳月が流れていた。2014年末、製造販売の許可が下りた。「PEMGRAPH(ペムグラフ)」と名付けて販売を始めた。「画期的な製品」と自負していたが医療機関の反応は鈍く、数台しか売れなかった。
販売価格は1億円弱と高額で、普及していたマンモグラフィー検査機の3~4倍だった。乳がん検査以外に汎用[はんよう]性がないこともネックになった。開発費は数億円に膨らんでいた。回収しきれず、会社から「不採算部門」の烙印[らくいん]が押された。