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福島県三春町教委は戦後80年の節目に、長崎で被爆し戦争のない世を求めて創作を続けた三春町出身の音楽教師・故岡山直[ただし]さんの作品や歩みを広める取り組みに乗り出す。福島と長崎で数多くの校歌を作曲してきた活動の根底には平和への願いがあった。「長崎原爆の日」の8月9日、町民が地元小中学校の校歌の合唱、原爆投下直後の様子を記した手記の朗読を披露する。世界各地で戦禍が繰り返される中、不戦の思いを強めてもらう。■原爆の日
作曲校歌や手記披露
岡山さんは、長崎師範学校(現在の長崎大)で音楽の教職に就いていた1945(昭和20)年8月9日、原子爆弾の被害に巻き込まれた。
後に記した「無名教師の原爆以後」と題した手記で、長崎での経験を生々しく書きつづった。当日は腕時計を外すほどの暑さで、始業のベルに立ち上がった際に激しい閃[せん]光[こう]が走ったという。木造の校舎が木っ端みじんに砕け、気を失ったことが記載されている。皮膚が赤くただれた人が力なく歩く様子、燃えさかる街並み、「水、水」という叫び声…。当事者しか分からない当時の様子を記した言葉が続く。
戦後間もなく、古里に戻り、県内小中高校などに勤務した。教員の傍ら、三春小や三春中、田村高など県内約40校の校歌を作曲。「とこしえに
平和の国を
うちたてん」と歌う三春中の校歌にメロディーを付けた。
町教委は岡山さんが残した手記を通して平和への思いを考える機会にしようと祈念事業を企画した。添田直彦町教育長は「岡山さんの足跡をたどり、長崎原爆投下や戦争を自分ごととして捉えるきっかけにしてほしい」としている。
祈念事業では、三春町民図書館ボランティア「たんぽぽ」のメンバーが手記を朗読する。町民混声合唱団「ミハルコーラス」、小中高生でつくる「まほら合唱団」が、三春や長崎で作曲した校歌などの合唱曲を披露する。
岡山さんが創設した「ミハルコーラス」の会長佐久間真さん(86)は「岡山先生の平和への思いを受け、懸命に歌を発表したい」と意気込む。
「まほら合唱団」の渡辺一[いつ]生[き]さん(15)=尚志高1年=は、三春中在学時に岡山さんについて学んだ。「世界唯一の被爆国だから発信できることがある。自分たちが知り、行動することで何かの役に立ちたい」と表情を引き締めた。両合唱団には岡山さんから直接指導を受けた町民らも複数いる。
町役場のホールには、岡山さんが使用していたピアノが展示してあり、「平和のピアノ」と名付けてある。今後も町は岡山さんを顕彰する事業を検討し、改めて平和について考える機会を提供していく。
平和祈念事業「平和への祈り~岡山先生と三春・長崎~」を、三春町の三春交流館まほらで行う。入場無料。
1902(明治35)年、三春町生まれ。福島師範学校(現在の福島大)を卒業し、1922(大正11)年、三春小で教員生活を開始。1928(昭和3)年、長崎県の長崎師範学校に赴任し、在職中に被爆した。帰郷後、県教委指導主事などを経て郡山女子大教授に就いた。1986年、84歳で死去。■手記の一部
空には原爆雲の厚い層が、黒びろうどの重たい幕となって低くたれこめ、下側だけが不気味な赤い色に染まっている。下界では、凄い唸りを立ててあらゆるものが燃えあがっていて、その火炎の炎が雲を赤く染めているのだった。建物も木立ちも、遠い山の麓から峰の上まで、ありとあらゆるものが燃えていて、その火の中から、ひょろり、ひょろりと裸の人間が現れてくる。