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京都守護職を務めた幕末の会津藩主松平容保が家令の樋口光を介し、会津藩士沼沢七郎に送った手紙と、容保直筆の和歌の短冊が福島県会津若松市に寄贈された。手紙では明治政府による若松城の払い下げや会津中学校(現会津高)の開校に触れており、当時を物語る貴重な資料になるとみられる。
手紙と和歌の短冊は一つの掛け軸に仕立てられており、金山町の五十島文栄さん(76)が自宅で所有していた。五十島さんの先祖である五島忠吉が、会津藩士で伊達郡長などを務めた沼沢の身の回りの世話をしていたという。
資料を鑑定した県立博物館の高橋充副館長によると、手紙は樋口が松平の意向を取り次ぎ、沼沢へ伝えたとみられる。「かねてより配慮してもらっていた若松城の件も、山川氏の尽力で二千円で払い下げになることが決定した」「中学校の寄付金については、地元の寄付人名簿冊を整理することになり、その上で現金を送ることになるので、御承知おきいただきたい」などと記されているという。
短歌は五島宛てに容保が直筆で詠んだとみられる。「行路春草
是もまた
めつらしきかな
梅の花
のにゆくみちに
匂ふ春草
容保」とつづられていた。高橋副館長は「容保は東京へ移った後も、会津の有力者と連絡を取り合っていたことが分かる」と見解を述べた。
同日、市役所で贈呈式が行われた。五十島さんは「観光や地域活性化に役立ててほしい」と話し、室井照平市長は「貴重な歴史資料として市の宝にしていく」と語った。掛け軸は8月5日から、市歴史資料センター「まなべこ」で約1カ月間展示する予定。