戦後80年 東京から集団疎開の小坂春美さん(89)、水谷幸子さん(90) 東山盆踊り時の重み感じ 「来て良かった」

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戦後80年 東京から集団疎開の小坂春美さん(89)、水谷幸子さん(90) 東山盆踊り時の重み感じ 「来て良かった」

福島のニュース


太平洋戦争末期、東京都台東区の根岸小(当時・国民学校)に在籍し、福島県会津若松市の会津東山温泉への集団疎開を経験した小坂春美さん(89)=都内荒川区在住=と水谷幸子さん(90)=都内足立区在住=は2日、温泉街で開かれた会津東山盆踊りに参加した。当時の疎開児童を励まそうと始まった盆踊り。2人は踊りの輪を感慨深そうに眺め、戦後80年の時の重みに思いをはせた。
1944(昭和19)年8月、台東区の3年生以上の女子児童約1400人が会津東山温泉に疎開し、複数の旅館に身を寄せた。当時3年生で、極度の空腹などに悩まされたという小坂さんは、つらい体験が胸に去来し、これまで疎開先に足が向かなかった。盆踊り実行委員会の招待を受け再訪を決意。終戦後、初めて会津の地を踏んだ。
小坂さんは「今思えば、当時よく遠くまで連れてきてくれたと思う」と疎開によって無事でいられた事実をかみしめ、「複雑な思いはあったが、来てよかった」と話した。疎開時は体調不良で級友より遅れて合流したため、盆踊りには参加できなかった。初めて踊りの輪に加わり、「この雰囲気を味わえて良かった」と笑顔を見せた。
水谷さんは4年生だった。「大勢の児童でやぐらを囲んでいた」と疎開の夏に体験した盆踊りを覚えている。華やかさはなかったが、「疎開児童を慰めようとしてくれた地元の人の気持ちに、今では感謝の思いでいっぱい」と話す。
長女だったため、弱音は吐けないと疎開先の旅館で気を張って過ごしたという。生活は規則正しく、「夜になると皆、布団の上で東京の方角を向き、父さん母さん、お休みなさいと言って床に就いた」と振り返る。
滞在した旅館のおかみが親切で、食事は必要十分だったという。白虎隊の墓参りやスキーなど会津ならではの行事も印象に残る。
戦後は会津を何度か訪れたが、会津東山温泉の盆踊りは疎開時以来となった。「当時を懐かしく思い出した。今回、盆踊りの由来を詳しく知ることができた。これからも続いてほしい」と話した。
会津東山盆踊りは昨年、新型コロナ禍を経て5年ぶりに復活した。今年も1日に開幕。4日まで踊りの輪を繰り広げる。