被爆80年 広島で祈り 福島県中学生 原爆の惨禍伝える決意

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被爆80年 広島で祈り 福島県中学生 原爆の惨禍伝える決意

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「悲惨さをより知ることができた」「原爆の恐ろしさが分かった」。広島市の平和記念公園で6日に開かれた平和記念式典には福島県内の中学生らも参列し、節目の「祈りの日」に立ち会った。多くの命が一つの爆弾で奪われた80年前の悲劇と、犠牲者への追悼を絶やさぬ現地の人々の姿に触れ、平和の尊さを伝える一員となる決意を新たにした。
「原爆については教科書でも学んできたが、悲惨な事実をより知ることができた」。福島市中学生平和大使の一員として参列した渡辺諒子さん(14)=野田2年=は被爆者や遺族の代表、各国の大使たちと一緒に原爆が投下された午前8時15分に黙とうをささげた。
「一瞬にして当たり前の日常が消えました」―。式典では地元の小学生が「平和への誓い」を述べた。自分より年下の2人の力強い口ぶりに鳥肌が立った。もっと平和に関心を持ち、大切さを伝えていかなくてはいけないとの思いを強くした。
2015(平成27)年に他界した祖父・望月雄一さんは中国の大連からの引き揚げ者だ。体験を直接聞く機会がなかったが、原爆の日や終戦の日が迫ると母の栄位子さん(46)から「おじいちゃんの話」を聞いてきた。福島市が戦後80年を機に平和大使を募って広島に派遣すると知り、人類史上、初めて核兵器の惨禍を経験した広島の地を目で見て、学びたいとの思いが募った。応募用紙には家族とのやりとりをつづった。
平和大使の2年生21人は7日まで広島に滞在し、平和記念資料館の見学やフィールドワークを通して被爆地の実相に触れている。渡辺さんは実感している。「原爆は多くの人に絶望を与えた。何があっても繰り返してはならない」







会津若松市は核兵器廃絶平和都市宣言事業として中学生を広島、長崎に交互に派遣しており、今年は13人が広島を訪ねた。
夏井智久さん(14)=若松三3年=には当事者の講話が心に残った。「当時の出来事を詳しく教えてもらい、原爆の恐ろしさが分かった。戦争のない世の中が続いてほしい」と願った。加藤陽菜[ひな]さん(14)=湊学園9年=は資料館に展示された被爆者の写真に言葉を失った。「80年たっても忘れてはいけない。見聞きした内容を家族や友人に伝える」と力強く語った。
大玉村からは大山小、玉井小、大玉中の児童生徒6人が出席し、持参した千羽鶴を平和記念公園に手向けた。式典には小野中の2年生4人も参列。桑折町も小学6年生5人を送った。■非核の思い強く
あさか開成高生
模擬原爆学ぶ
総合的な探究の時間で戦争について学んでいる、郡山市のあさか開成高2年の曲山怜那さん(17)と白井希佳さん(17)は6日、「模擬原爆」が投下された福島市渡利地区(当時信夫郡渡利村)を訪ねた。
模擬原爆で当時14歳だった弟を亡くした斎藤ミチさん(98)宅と、模擬原爆の破片を保管している瑞龍寺を訪れた。曲山さんは「広島と長崎に原爆が落とされる前に、各地に模擬原爆が落とされていたことは知らなかった」と驚いた。長崎を過去に訪れた白井さんは「唯一の戦争被爆国として、原爆を使うことがあってはいけないことを伝えていく」と思いを強くしていた。
模擬原爆は米軍が原爆の投下訓練のため全国に投下した。18都府県に計49発が落とされ、400人以上が犠牲になったとされる。