日航機墜落40年慰霊登山 教訓継承「自分事」に 原発事故風化懸念福島県と通じる課題 本紙記者ルポ

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日航機墜落40年慰霊登山 教訓継承「自分事」に 原発事故風化懸念福島県と通じる課題 本紙記者ルポ

福島のニュース


520人もの命が失われた1985(昭和60)年の日航ジャンボ機墜落事故から40年となった12日、遺族らは現場となった群馬県上野村の「御巣鷹の尾根」に慰霊登山し、大切な人の最期の地に立った。遺族の高齢化につれ、のしかかる風化の阻止や教訓の継承といった課題は、東日本大震災と東京電力福島第1原発事故を経た福島県に通じる。御巣鷹の尾根には直接の記憶がない世代や別の事故・災害の被害者遺族の姿もある。変わりゆく「安全の聖地」を本紙記者が歩いた。(社会部キャップ・服部鷹彦)
村中心部から車で山道を20キロほど走ると、標高1359メートルにある登山口が見えてきた。リュックに花束を詰めた登山者と共に1565メートル地点の御巣鷹の尾根を目指す。雨音と砂利を踏む音しか聞こえぬ静けさが、慰霊の山という事実を際立たせる。登山道は村民やボランティアの手で整えられ、遺族を安全に尾根に導いてきた。ただ、塗装が剝がれた手すりや色あせたベンチが歳月を感じさせる。
墜落地点の「昇[しょう]魂[こん]之[の]碑[ひ]」まではゆっくり歩いて1時間。急な登りやぬかるみが点在する道のりは高齢者には一苦労だ。日航によると、12日の登山参加者は82家族283人。天候に左右されるものの、最多だった2015(平成27)年の106家族、406人の7割ほど。義兄の佐田弘さん=当時(53)=を亡くした無職中村晴男さん(82)=埼玉県春日部市=は毎年のように参加してきたが、体力面の不安は年々増す。「来年以降も登りたいが、最後かもしれないな」と声を落とした。
村も遺族と40年を歩んできた。事故翌年に追悼施設を建てて以来、慰霊式会場の設営や遺族への案内で寄り添い続けている。人口は減り続けて1千人を割り込み、今後の運営の在り方は課題となっている。
それでも、道中では教訓や記憶が着実に受け継がれると信じられる光景もあった。「来年は孫を連れてくるよ。また1年頑張るね」。父孝之さん=当時(29)=を失った会社員小沢秀明さん(39)=兵庫県芦屋市=が父の墓標に語りかけていた。事故当時は母紀美さん(69)の胎内にいた。1歳半頃から紀美さんに背負われ、尾根に通ってきた。
福島から取材に来たと明かし、事故や災害の風化をどう防ぐか尋ねた。「それぞれ子や孫と現場を訪れ、伝えていくこと。外への発信も大事です」。柔らかな語り口に実践に裏打ちされた強い意思を感じた。
近年は全国各地の天災や事故の被害者遺族も平和と安全を祈って尾根を目指している。東日本大震災の津波で長女薫さん=当時(18)=を亡くした宮城県亘理町の早坂由里子さん(61)もその一人だ。墜落事故の遺族らでつくる「8・12連絡会」事務局長の美谷島邦子さん(78)との交流を機に、御巣鷹に通うようになった。早坂さんは震災も風化が進みつつあると指摘し、「強い危機感を覚えている」と訴えた。
震災や原発事故をはじめ災害・事故の犠牲者を一人でも減らす―。そのためには何ができるのか。身近で起きた出来事を一人一人が自分事と捉え、教訓を伝えることが大切ではないか。御巣鷹の尾根から空を眺め「安全の聖地」を残し続ける意義に触れた気がした。