福島のニュース
第2次世界大戦の戦地を訪れる日本遺族会の「慰霊友好親善事業」が、参加者の高齢化を理由に戦後80年となる2025(令和7)年度を最後に終了する。今年度はフィリピン訪問の他、船舶乗船による「洋上慰霊」が行われ、参加者が故人をしのんだ。「洋上慰霊で父を身近に感じられた。こういった機会が無くなるのは寂しさがある」。2011(平成23)年の事業に参加した福島県の川俣町遺族会長の藤塚三清さん(82)は無念の思いを口にする。
藤塚さんは2011年3月5日~16日の12日間で実施された第1回の洋上慰霊に県内の遺族10人と共に参加した。父・清五郎さんは1944(昭和19)年10月、フィリピンと台湾の間に位置するフィリピン・バシー海峡で、乗船していた輸送船が米軍の攻撃を受けて沈没、29歳で戦死した。藤塚さんは当時1歳だった。清五郎さんの顔も声も、抱っこされた記憶もない。人柄は母タカさんの話を通してしか知らない。
「父はどんな人だったのだろうか」。長年探し求めてきた。答えは見つからないかもしれないが、父を身近に感じたくて、洋上慰霊への参加を決めた。バシー海峡に着いた3月10日、船上で自身の家族の写真を掲げた。「こんなに家族ができたよ」。ゆっくり目を閉じ、黙とうをささげた。「良く会いに来てくれたな」と声をかける清五郎さんの存在を感じたという。
父への思いをかみしめていた翌11日、東日本大震災が発生。福島県や岩手、宮城両県などからの参加者は不安で仕方がなかった。藤塚さんはすぐに自宅へ連絡し無事を確認、古里に帰り着くことができた。「きっと、父がみんなを守ってくれたんだ」と思った。
日本遺族会は1991年に慰霊友好親善事業を開始した。2024年までに、中国やフィリピンなどの19の国・地域への訪問を計451回実施し、延べ1万6320人が参加した。洋上慰霊は2011年に続き、2016、2025年にも実施した。厚生労働省によると、海外などで戦死した日本人約240万人のうち、約5割に当たる約112万人の遺骨が見つかっていない。洋上で戦死した約30万人の遺骨は回収が難しい。最愛の肉親を失った実感に乏しく、気持ちの整理が付かない遺族は少なくないという。
慰霊友好親善事業は故人を思う遺族の心のよりどころとなってきた。しかし、各地の遺族会の高齢化にあらがうことは難しく、洋上慰霊の参加者は第1回の363人から今年は218人と約4割減少。藤塚さんは自らの体験から「高齢者が10日間以上、海外渡航をするのは厳しいのが実情だ」と打ち明け、事業の終了に一定の理解を示す。ただ、南方や大陸で非業の死を遂げた先人たちへの思いは募るばかり。「新たな形で戦争の風化を防ぐ取り組みが求められている」
戦火に散った先人の生きた証しや戦争に翻弄[ほんろう]された家族の思いを語り継ぐため、福島県遺族会は、遺族らが語り部として出演するDVDを制作している。「少しでも遺族の心に触れ、戦争を自分事として捉えられる機会にしたい」。事務局長の佐藤洋孝さん(84)は、次世代への継承を誓う。=おわり=