福島のニュース
県の文化、学術、教育の向上に尽くした功績をたたえる第74回県文化功労賞に県環境アドバイザーの鬼多見賢[きたみけん]さん(78)=教育部門・猪苗代町=、県馬術連盟顧問の佐藤伝一[さとうでんいち]さん(88)=体育部門・伊達市=が選ばれた。県が6日、発表した。
鬼多見さんは福島県の豊かな自然を象徴する猪苗代湖の保全に身をささげ、水環境を守る県民意識の醸成に寄与した。県自然保護指導員、県川の案内人、県教育庁職員特別講師、県環境アドバイザーを務め、自然環境保護の専門家として活躍。小学生向け学習会などで講師を担い、若年層への環境教育に尽力している。
代表を務める「猪苗代湖の自然を守る会」を母体に、水生植物「ヒシ」の回収活動を推し進めた。共感の輪が広がり、地域住民、地元企業、小中高生など多くのボランティアが加わった。県民が一体となった水環境の保全をけん引し、地域や県全体の自然、景観の保全につなげた。
佐藤さんは1964(昭和39)年の東京五輪で馬術・障害飛び越え競技の日本代表となったのをはじめ選手、指導者として国内馬術の普及と発展に貢献した。国民体育大会(国体)での実績は目覚ましく、25回連続で出場し13度の優勝を果たした。1995(平成7)年に福島県で開催したふくしま国体では強化委員長として優秀な競技馬の確保や、指導体制の確立に力を注いだ。福島県馬術競技の3度目の総合優勝と大会の成功を支えた。
獣医師の立場からも馬術の競技力を高めた。県馬術連盟会長や日本馬術連盟副会長を歴任し、福島県のみならず国内の馬術競技で存在感を示した。■美しい自然環境守る
鬼多見賢さんの話
古来、人々の生活を育んできた猪苗代湖を誇りに思うとともに、愛している。体力が続く限り、会員とともに何らかの形で環境活動を続け、美しい自然環境を守っていく。■努力報われうれしい
佐藤伝一さんの話
馬とともに長年、人生を歩んできた。馬術競技の普及と発展に努力したことが報われ、大変うれしい。一人の力では受賞はできなかった。これまで支えてくれた皆さんに感謝したい。■鬼多見賢さん
78
猪苗代町三ツ和
猪苗代湖美化に60年
60年にわたって猪苗代湖の環境保全活動に取り組んできた。個人で始めた活動は地域、団体、企業に広がっている。
猪苗代町出身、猪苗代高卒、玉川大文学部学芸員単位取得。猪苗代湖まで約400メートルの自宅で生まれ育ち、幼い頃は湖畔が一番の遊び場だった。農業に従事する傍ら、湖の自然環境を守ろうと18歳でごみ拾いを始めた。結婚後は妻君子さんと湖畔をドライブしながら、ごみを拾うのが日課になった。2000(平成12)年に「猪苗代湖の自然を守る会」を発足させた。渡り鳥の保護調査などにも注力し、「白鳥おじさん」としても親しまれる。
猪苗代湖は水生植物のヨシやヒシが枯死後、湖底に沈殿して水質悪化の一因となっている。いち早く水草回収の必要性を訴え、水質改善活動の先頭に立ち続けてきた。活動を長年続けられた理由は一言。「猪苗代湖を愛しているから」
毎日1回は猪苗代湖に足を運ぶ。「美しい湖を後世につないでいく」。水質改善に向け、できる限り活動を続けるつもりだ。■佐藤伝一さん
88
伊達市保原町所沢
国体で13度の日本一
実家は家畜商を営んでおり、馬は身近だった。幼いころからポニーにまたがり、走り回った。「まさに馬と共に歩んできた人生だった」と振り返る。
伊達市出身。福島農蚕(現福島明成)高、日本大農獣医学部卒。馬術を競技として始めたのは高校入学後だ。才能はすぐに開花した。高校1年で初めて国民体育大会(国体)の舞台に立ち、以降、25年連続で出場した。1972(昭和47)年の鹿児島国体で史上初の馬術競技3種目制覇を達成するなど、国体13度の優勝は今も偉大な功績として福島県馬術界に輝く。
大学卒業後に県職員となり、県畜産試験場研究員の時に出合った藤[ふじ]竜[りゅう]号で1964年の東京五輪を目指した。出場枠3人には残れなかったが、補欠選手として日本代表入りした。「忘れがたき思い出」だという。
指導者としても手腕を発揮。県職員退職後は日本馬術連盟副会長を務めた。獣医師として馬専門の病院を開業し馬術界の振興に尽力した。「馬術界の活躍を見守り続けたい」。一線を退いても情熱は衰えない。

