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福島県郡山市出身で俳優の西田敏行さんが76歳で亡くなり、17日で1年となった。面影は県民の心に残り続けている。市内にある母校の小原田中の生徒は名優の生き方を見習うべき手本として学び、郷土愛を育んでいる。命日に「追悼の儀」が同校で営まれ、生徒は「古里を愛した西田さんの思いを引き継ぐ」と誓った。JR郡山駅構内では用意されたノートにファンがメッセージをしたため、天国に向け感謝を伝えた。
「地元をもっと大切にし、西田さんのようにたくさんの人に愛される人になりたい」。生徒の一人は体育館のスクリーンに映し出された笑顔に語りかけた。
生涯にわたり福島に寄り添い続けた国民的俳優を深く知り、地元への愛情を強くしようと、今年度から総合的な学習の時間のテーマの一つにした。1年生は西田さんの同級生らへの聞き取りを通して人柄を理解しようとしている。2年生は西田さんが生まれ育った地域の魅力に触れるために、職場体験を実施。3年生は目指すべき地域像を提言し、古里を愛した「大先輩」の遺志を引き継ぐ努力をしている。
西田さんは東日本大震災と東京電力福島第1原発事故の発生直後に避難所を巡り、「大丈夫だ、がんばっぺない」と被災者を励まし続けた。1年生の渡辺瑛[え]麻[ま]さん(12)は「同じ小原田に生まれたのが誇りだ。自分も地域に貢献したい」と表情を引き締めた。
西田さんが震災後の2011(平成23)年に福島県に思いをはせて発表した楽曲「あの街に生まれて」を、全校生徒約260人が情感を込めて合唱した。校長の関根宏房さん(60)は「西田さんが愛した地域を、これから子どもたちが背負ってくれるはず」と願った。
西田さんの同級生や親しい知人4人が出席した。小、中学時代の同級生だった市内の無職安倍元[げん]恵[え]さん(78)は、西田さんと酒を酌み交わした際に励まされたのが忘れられない。仕事に悩んでいたが、あるがままに生きるよう助言を受けた。「俺は俺らしく、一生懸命生きているぞと伝えたい」と親友への思いを口にした。
小原田小の同級生約20人は市内で同級会を開き、故人との思い出を語り合った。■「忘れることできません」「優しいなまり大好き」
こおりやま観光案内所
ノートに800人記す
JR郡山駅内の「こおりやま観光案内所」に備えられたノートには毎日のように、西田さんに向けた文章がつづられている。17日は2人がテレビ番組「人生の楽園」でのナレーションの魅力、俳優としての素晴らしさ、敬意を書き込んだ。
郡山市観光協会が昨年10月18日、ノートを置いた。「忘れることができません。ありがとう」「愛してるぞ~い!」「優しいなまりが大好き」…。これまでに延べ約800人が心を寄せ、現在は3冊目に入った。案内所の小針千尋さん(29)は「『西田さんはこんな人だった』という思いを互いに共有してほしい」と話した。
西田さんを追悼する市主催の企画展(9月6日~28日)の会場だった市歴史情報博物館でも期間中、メッセージノートが設置された。約300人がつづり、ノートは計4冊になった。今後はインターネット上での公開を視野に入れている。■ロケ地関係者思い出語る
西田さんの姿は映像作品で残り続けている。主演の「釣りバカ日誌8」はいわき市が舞台。ロケ地になった割烹[かっぽう]旅館・天地閣社長の大平均さん(71)は「まだ生きているような感覚。ふらっと撮影に現れるような気がする」と思いを巡らせた。
柳津町を中心に撮影された映画「ジヌよさらば~かむろば村へ~」にも出演した。映画プロジェクト実行委員として撮影を見守った会津柳津観光物産協会長の山内拓也さん(62)は「この映画は今こそ多くの人に見てほしい一本だ。一周忌を機にぜひ再放映してもらいたい」と願った。

