【震災・原発事故14年】8人全員で「卒業式」を 日下龍二郎さん(24) 福島県南相馬市小高区

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【震災・原発事故14年】8人全員で「卒業式」を 日下龍二郎さん(24) 福島県南相馬市小高区

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東京電力福島第1原発事故直後、全域が避難区域になった福島県南相馬市小高区。当時、鳩[はつ]原[ぱら]小の4年生だった8人は県内外に散り散りになった。あれから14年7カ月余り。避難先の長崎県佐世保市で劇団に所属する俳優日下[くさか]龍二郎さん(24)がふと思い出すのは、級友の笑顔だ。交流サイト(SNS)で連絡を取り合ってはきたが、3・11以来、一堂に会したことがない。15年ぶりに再開し卒業式を実現できれば「8人の力で時計の針をさらに進められる気がする」。いつも一緒だった仲間たちに声をかけ、式の計画を練り始めた。■鳩原小4年時長崎に避難
鳩原小は福島第1原発から直線距離で北に約18キロ。日下さんらは震災当時、体育館で卒業式の準備をしていた。突然、ごう音と大きな揺れに見舞われた。「逃げろ」「急げ」。先生の大きな声に背中を押され校庭に集まった。現状をのみ込めないまま、迎えに来た母と学校を後にした。不安でたまらなかった。
幼稚園から一緒だった仲間からは、「龍ちゃん」と呼ばれていた。何げないけど幸せだった日常は一瞬で崩れた。「まさか、8人で顔をそろえたのが、あの日が最後になるとは」
避難区域にある自宅には戻れない。祖父の妹夫婦が住んでいる佐世保市に身を寄せた。「当時は一時的な避難だと思っていた」。右も左も分からない土地だったが「人に恵まれた」。佐世保市内の小学校に転校してすぐに、今も付き合う友だちができた。震災や原発事故の話をしつこく聞かれたり、冷やかされたりすることはなく、「ありのままの自分でいられた」。小高の友だちと離れ離れになった悲しさ、寂しさは、第二の故郷となる佐世保の人々が埋めてくれた。■3.11以来の集合へ声かけ
時は流れ、長崎国際大人間社会学部4年のときだった。何かに挑戦したいと考えていたところ、「させぼガレージ劇場」に出会った。出演者が織りなす即興芝居に「これをやってみよう」と思った。大学卒業後も舞台に立ち、台本の執筆やミュージカルの演出助手などを担うようになった。
南相馬市に帰省するのは年1、2回。小高の空気を吸い、思い出すのは、校庭で別れたままになった7人のこと。「もしも震災さえなかったら」。いつも考えてしまう。そのたびに悲しみやむなしさが去来して感情がぐちゃぐちゃになる。
「同級生と歩めなかった青春に、後悔を抱えたままでいいのか」。SNSでつながっている級友は県内や新潟県内などで会社員や公務員、保育士などとして働いている。心のモヤモヤを晴らす方法はないか。「仲間に会いたい」「一緒に何かをしてみたい」と思い巡らせ、たどり着いた結論が卒業式だった。
身勝手な提案を受け入れてもらえるか不安だったが、これまでに級友5人が二つ返事で賛同してくれた。来年3月の卒業シーズンに合わせて挙行したいと考えている。ただ、原発事故後の2021(令和3)年4月に閉校となった鳩原小を使用するめどが立たない。残る2人にも声をかけ、具体的な内容を詰めていく。■級友と進める心の時計
10月下旬、級友の末窪真人[すえくぼまさと]さん(25)=いわき市、会社員=と釘野裕大[くぎのゆうた]さん(25)=福島市、公務員=と一緒に、思い出が詰まった母校を下見した。15年近くたっても面影や人柄は「小学生の頃と変わらない」「心はつながっている」と笑い合った。
日下さんは、小高と佐世保の二つの時間軸で生きてきたと感じている。「南相馬はゆっくりと和やかで、佐世保は少し秒針が早い」。どちらも同じくらい大切で「両方あるから今の自分がある」。15年ぶりに全員と再会できれば「時計の針をさらに進められる」。そう信じている。