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福島県双葉町新山の清[きよ]戸[と]迫[さく]横[よこ]穴[あな]墓[ぼ]群[ぐん]「83号横穴墓」で新たな彩色壁画が発見された。確認済みの国史跡「76号横穴墓」より大きく、造営時期は30~50年ほど古い6世紀後半~7世紀前半と推定され、図柄に関東以南に多い、船や盾を含む。彩色壁画を持つ「装飾古墳」は有力者を祭る風習とされる。調査に携わった専門家は「関東の装飾古墳に見られる図形があり、東北と関東をつなぐもの。一帯の文化交流を研究する上で重要」と評価。町教委などは複数の実力者の存在や他地域とのつながりを示す史料とみて、地域間交流などの研究の発展を期待する。
12日、調査に携わった町教委や茨城大、東京文化財研究所などが町役場で記者会見して発表した。具体的な図柄の残る彩色壁画が同じ横穴墓群から複数確認されるのは東日本で初めて。全国的にも珍しい。県内での発見は約半世紀ぶり。
83号横穴墓は76号横穴墓(奥行き3・15メートル、幅2・84メートル、高さ1・56メートル)の北東約100メートルにある。東京電力福島第1原発事故で帰還困難区域となったため、保存や調査は中断された。2022(令和4)年に一部の避難指示が解除されたのを受け、町教委が昨年12月に調査を再開した。
町教委によると、彩色壁画は死者を埋葬したと考えられる家形の玄室(奥行き3・7メートル、幅3・6メートル、高さ2・5メートル)内で、奥壁を中心に左右、前壁の計4面に確認された。弁柄(赤色顔料)の一種が使われ、帽子をかぶったり、馬に乗ったりする人物や動物、76号横穴墓にない船、盾や靭[ゆぎ]、大[た]刀[ち]といった武器も描かれていた。船は九州、武器は関東の装飾古墳に多い。
調査に協力した茨城大の田中裕教授は「両地方と双葉に文化的な交流があった証し」と強調。複数の壁画が容易に認識できる良好な保存状態も「大変希少で価値が高い」とした。横穴墓は古い時代ほど大規模と考えられ、76号横穴墓よりさかのぼった時代のものと推定されるという。
各地の横穴墓群では装飾古墳は1基の場合が多い。町教委は2基目の発見を複数の実力者が双葉にいたことを示す可能性があるとみて、両者の関係性などを調べる。83号横穴墓が築かれた6世紀後半から7世紀前半にかけ、現在の町域では魚の採取や稲作、狩猟が営まれていたという。
県立博物館の高橋満学芸課長(考古学)は2基の彩色壁画にいずれも、有力者の証しである馬が描かれている点に着目。現在の町域を超える「広範囲を治めた権力者だとうかがえる」とみる。「大刀などの器物を描くなど関東の特徴もあり、被葬者の性格や地域間交流の様子に迫れる。歴史的価値が高い」と評価した。文化財としての保存管理、周知の両面が必要として「活用は学術研究、教育や情報発信など多岐にわたる。復興に向かう双葉地域の歴史・文化を紹介する一材料になれば」と期待した。
町教委は来年度、専門家らによる委員会を設け、調査計画や保存方法を検討する。将来的に国史跡への追加指定を目指す。舘下明夫教育長は「町の中心となる遺構と捉え、解明を進めたい」との考えを述べた。
83号横穴墓を含む清戸迫横穴墓群は現在、一般には公開されていない。

