戦後80年 父への思い一区切り 福島県川俣町遺族会事務局長の佐藤さん(88) 不戦の誓い次代に

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戦後80年 父への思い一区切り 福島県川俣町遺族会事務局長の佐藤さん(88) 不戦の誓い次代に

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福島県川俣町遺族会事務局長の佐藤伸子さん(88)は戦後80年の節目の年の終わりに「父の戦死をきっかけに移り住んだこの地で終戦からずっと幸せに暮らせた。ありがたい」と半生を振り返る。時の流れを感じながら、不戦の誓いを次代につなぐ思いを新たにする。
東京都の浅草で父熊雄さん、母ヤスさんの長女として生まれた。招集され、入隊のため仙台市に向かった父親を見送ったのは4歳の頃だった。それから2年もたたない1943(昭和18)年1月21日、ガダルカナル島で戦死する。父親の死亡公報がかなり遅れて届いた時の記憶は今も鮮明によみがえる。6歳になっていた。
ここで家族の運命が大きく変わる。父親の実家を継ぐため、母親、妹と共に川俣町鶴沢に引っ越すことになった。東京大空襲が起きると、東京にいた親戚が家族で逃げ延びてきた。川俣の家に総勢25人で暮らす。苦労もあったが、家の畑で採れた野菜や、親戚からもらうコメもあり、食料には困らなかった。間もなく終戦を迎えた。戦後の混乱期に家族を支えてくれた母親は59歳で早世した。
中学校を卒業後、旧富田村の職員となり、亡くなった母の代わりに未亡人会で事務局の手伝いを始めた。1955年3月には町村合併で川俣町になる。未亡人会が時代の変遷とともに遺族会となった後も、事務局の仕事を担い続け、現在までの活動を支えている。「川俣町に来られて幸せだった。父親が呼んでくれたのかな」。感謝の涙が頬をつたう。
今年10月に町内で開かれた「平和を考え戦没者を追悼する会」で司会を務めた。多くの遺族らと追悼の思いを共有し、80年の重みを改めて感じた。父親を失った気持ちにようやく整理が付いた気がした。「これからの世代の人たちに二度と自分のような悲しみを味わってもらいたくない。みんなで平和の尊さを語り継いでいかなければならない」