福島のニュース
2024(令和6)年1月1日の能登半島地震から間もなく2年となる。福島県相馬市出身で石川県輪島市の主婦厚[ほうの]木[き]洋子さん(68)にとって元日は誕生日だった。古里を襲った東日本大震災に続き、大切な土地が災禍に遭った。輪島市も地震や火災の犠牲に加え、災害関連死が後を絶たない。二つの災害を通し、平穏な日常が当たり前ではないと痛感した。「いつになれば、元通りになるか分からん。それでも一日を大切に生きていく」。半世紀近くを過ごした輪島で前を向く。(本社社会部・水口薫)
相馬女高(現相馬総合高)を卒業後に上京。高島屋百貨店で婚礼関係売り場を担当した。輪島市出身の賢一さん(73)と仕事で知り合い、1979(昭和54)年3月11日に結婚。2年後に輪島市三井町に越した。
なじみの薄い北陸の暮らしに当初は戸惑った。方言も風習も福島とは違う。働き、婦人会に入るうち徐々に溶け込んだ。「海の近さと人の温かさ」という古里との共通点も見つけた。能登半島で人生の大半を過ごし、賢一さんと二人三脚で一男一女を育て上げた。
あの日は大阪から帰省した長女麻衣子さん(42)一家5人を迎え、にぎやかな新年を迎えた。娘や孫3人と誕生ケーキを作っていて激震に襲われた。「この世の終わりだ」。とっさに孫たちに覆いかぶさった。
揺れが収まったのを見計らって外に出ると、見慣れた風景は一変していた。家は倒壊こそ免れたが、屋根や壁が崩れ、道路の標識も傾いていた。一帯が停電したため近くの寺を頼った。暖を取るすべさえなく、車中泊で2週間を過ごした。不安の中、かつての記憶が頭をよぎった。■古里と嫁ぎ先
相次いだ災禍
東日本大震災が起きた2011(平成23)年3月11日は賢一さんとの結婚記念日だった。「あんたんとこ大変なことになっとるよ」。勤めていた輪島病院で同僚に告げられた。テレビの映像では真っ黒な波が東北の沿岸に迫っていた。18歳まで暮らした相馬市磯部の実家は海から2キロ、内陸にある。「あそこまで来るはずがない」。自身に言い聞かせ、市内の高齢者施設にいる母ヨシノさんの携帯電話を鳴らしたが、出ない。地元のきょうだいと連絡がついたのは数日後だ。
3週間後。水や食料を携え実家に戻ると、跡形もなかった。「あぜんとして声も出なかった」。母とは避難所で再会できたが、近くに住んでいた伯母夫婦は車で避難中に波にのまれた。磯部地区では市内最多の251人が犠牲となり、仲の良かった同級生も失った。
◇
◇
地震による輪島市の死者は23日までに241人。このうち半数超の140人が関連死だ。奥能登地方では地震を機に、息子や娘を頼って金沢市などに移る人が相次ぐ。人口減が加速する中、厚木さんは輪島に残るつもりだ。民生委員として家々を見回り、お年寄りらに声をかけている。
「なぜ自分だけ、こんな目に遭うのか」。縁ある土地を災害が襲う理不尽さに怒りを覚える。「また地震が起こるのでは」という不安もゼロではない。それでも、この地にとどまるのは愛着があるから。「力を合わせて前を向いて生きないとやね」。45年余りの歳月で染み込んだ輪島言葉を発し、気丈に笑った。

