福島のニュース
昨年12月中旬の埼玉県加須市。関東平野の一角に広がる田んぼに師走の乾いた風が渡る。2011(平成23)年3月の東京電力福島第1原発事故に伴い、福島県双葉町から避難した渋谷一弘(78)はここでコメ作りに励んできた。2012年に市内に農地を求め、営農を再開。気候や土の違いに戸惑いながら、必死に軌道に乗せた。現在は知人から借りるなどした約8ヘクタールで作付けしている。
農家として身を立てる覚悟を固める中、ある決断を迫られた。双葉を離れて11年が過ぎた2022(令和4)年。加須市を管轄するJAほくさいを頼った。規模拡大や品質向上を図る上ではJAに加盟し、販路や指導を得るのが最善の策と考えた。ただ、組合員になる条件の一つが「管内に住所(住民票)があること」だった。なりわいを続けるための行動が住民票の選択と結びついていた。
生まれ育った双葉の人間ではなくなってしまう―。「泣く泣く住所を移したんだ」。葛藤の末、コメ農家として生きるためには「やむを得ない」と腹をくくった。
原発事故に伴う避難者はピーク時の2012年5月に約16万4千人を数えた。直近でも県内外に約2万3700人が暮らす。避難先で生活を立て直す中、少なくない人がそれぞれの事情で古里の住民票を手放した。
避難指示の最初の解除が2020年と最も遅かった双葉町の場合、事故当時の町民約7千人のうち、住民票を移した転出者は昨年10月時点で約1300人に上る。15年が近づく今なお、町内で居住できるエリアはJR双葉駅周辺など全体の約15%のみ。買い物や医療が不十分な町に戻る町民は、ごく一部にとどまる。
渋谷は古里のこうした厳しい状況を踏まえ、加須市民となる道を選んだ。それでも、「自分は双葉町民だ」との意識が薄れたわけではない。「『双葉に帰りたい』という気持ちは皆が持っているよ」。変わらぬ愛着を抱えながら農業に心血を注ぐ。
原発事故で突如、古里を奪われた人々にとって、住民票は避難先での生活再建に関わる切実な問題だ。避難指示を受けた市町村や学者の間には当初、「二重の住民票」を国に求める声もあった。しかし、住民基本台帳法は「一人一住所」を原則としており、実現には至らなかった。
住民票を残すか、手放すか。自身の意思と無関係に避難元と避難先という「二つの地域」に関わる環境に置かれた避難者は長年この問いと向き合ってきた。いずれの選択も、個人が生活や将来と向き合った末の判断だった。
コロナ禍を機に「二地域居住」が広がり、住民票を持たない地域と関わる人々が近年増えている。住民の定義や複数の自治体との関係性などへの関心が高まっている。原発事故は複合災害という特殊事情により、行政や個人に対して住民としての権利や義務の在り方という問いを突き付けた。
自治体政策が専門の地方自治総合研究所(自治総研)特任研究員の今井照(72)=元福島大行政政策学類教授=は「避難と受け入れを巡る経過の検証は不十分だ」とした上で、解消されなければ「今後、同様の事態に対処するための備えがあいまいになりかねない」と指摘する。
埼玉県に避難した双葉町と町民は15年近い歳月でさまざまな困難や選択に直面してきた。課題や教訓は今に生かされているのか。加須で過ごす人々の姿を通し、災害時の住民と行政の関係、非常時の自治体間の連携などを探る。

