福島のニュース
「双葉の皆さんへの支援は市民へのサービス以上でも以下でもない。最重要業務の一つだが、特別視はしなかった」。埼玉県加須市の市長・角田守良(69)は昨年11月、15年前の心境を振り返った。副市長として双葉町を受け入れ、両市町の共生に最前線で関わってきた。
2011(平成23)年3月30、31日の両日、双葉町民約1200人を乗せたバスが旧騎西高に着いた。「双葉町の皆さん
心からお待ちしておりました」。車を降りた疲労の色濃い人々を、児童が横断幕を広げて出迎えた。
さいたまスーパーアリーナ(さいたま市)から再移転までの期間は1週間余りしかなかった。先手先手で支援態勢を築いていった。
当時の市長・大橋良一(78)は福島県民が全国に散り散りになる状況を見て「うちにも避難者が来る」と直感。3月16日には旧騎西高を避難所に使うよう埼玉県に提案した。同20日に県の協力要請を受け、翌日に支援対策本部を設けた。「支援業務は最も重要な通常業務の一部とする」との考え方を柱に据え、「市と市民全体の協力のもと取り組む」「市内に突如、新たな町が生まれた状況を想定して対応を考える」など6項目を基本方針とした。
避難した側の双葉町埼玉自治会長の吉田俊秀(77)はこれらの文言に触れた当初、「一見、淡泊に感じた」という。しかし、その誤解はほどなく解けていった。
市は住環境の改善を埼玉県に掛け合い、旧騎西高への仮設風呂の整備、教室内のエアコン設置、温かい弁当の提供などを実現。町議会を開く議場の提供、選挙執行の補助など後押しは多岐に渡った。対策本部で事務局を担った現経済部長・野崎修司(60)は「双葉の皆さんの立場に立ち、県と交渉した」と回顧する。
2013年6月、双葉町の役場機能はいわき市に移り、旧騎西高の避難所は2014年3月に閉じた。最大約1400人が過ごした拠点は役割を終えたが、市内には昨年11月末時点で355人の町民が暮らす。市は支援継続に向け、コロナ禍までは各世帯を回って近況を聞いた。今も調査票を送り、年2回の会議で課題や要望を吸い上げている。
角田は当初、一部市民から「ぜいたくな食事をしている町民がいる」といった声が寄せられたと明かす。広報誌での説明や、民間団体と連携した市民と町民の交流会の開催などを経て融和に努めてきた。「加須と双葉は一心同体。全員が帰還するまで支える」。迷いなく言い切った。
双葉町の全町避難は加須市の積極姿勢もあり円滑に進んだ。ただ、原発事故直後は避難指示の有無を問わず最大16万人余りの県民が全国に避難した。「想定外」の状況下、「避難者が住民票を移さず、避難先で行政サービスを受けられるようにする」という原発避難者特例法が万能ではなかった実態が関係者の声からは浮かぶ。
法を所管する総務省は避難者の権利は特例法で保たれているとする一方、「どの程度の人が避難先でサービスを受けているかの調査は行っていない」(市町村課)と説明する。歳月とともに避難、受け入れを巡る記録や記憶は薄れていく。事故から15年が迫る今こそ、行政による詳細な検証が求められている。(文中敬称略)
=第2部・県外避難・加須編は終わります=

