【今を生きる】阪神大震災17日で31年 問い続ける自分の使命 江藤大裕さん(大阪出身・福島県郡山市在住)

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【今を生きる】阪神大震災17日で31年 問い続ける自分の使命 江藤大裕さん(大阪出身・福島県郡山市在住)

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6434人の命が失われた阪神大震災から17日で31年。福島市子ども食堂NET代表などを務めている江藤大裕さん(49)は、高校3年生の時に大阪市の実家で阪神大震災を経験し、結婚で移り住んだ郡山市で東日本大震災に遭った。二つの災害で抱いた無力感と責任感を胸に自問自答を続ける。今、自分に何ができるか―。未来を開く子ども支援に行き着き「SOSを見逃さず丁寧に思いを拾う場をつくる」と前を向く。
「いっぱい食べや」。福島市の吉井田学習センターで月に1度開かれる子ども食堂「よしいだキッチン」。江藤さんが集まった児童らと食卓を囲む。笑顔を見せつつも、心の中には苦い記憶がある。
31年前の1月17日午前5時46分、大阪市西成区の実家でアルバイトに向かう準備中、激しい揺れに襲われた。2階建ての実家は屋根瓦が落ちて壁にはひびが入るなど半壊状態に。何が起きたか分からないままテレビで目にしたのは、倒壊した家屋や高速道路、立ち上る炎。灘中・高の生徒として通っていた神戸市の変わり果てた姿だった。
灘高の体育館は遺体安置所になり、通学路にある建物は倒れるなど、街の風景は一変した。「何かできることはないか」。居ても立ってもいられなくなり、震災直後の街をさまよった。しかし、高校生では何もできず、想像をはるかに超えた厳しい現実とどう向き合うべきか途方に暮れた。悔しさは31年たっても胸から消えない。
それから16年後の34歳の時、郡山市で東日本大震災を経験。「またか」。立っていられない強烈な揺れに故郷での記憶がよみがえった。自宅の窓や食器が割れて散乱したが、妻子の無事だけが救いだった。直後から妻の母親の実家がある宮城県石巻市や郡山市の避難所に食料を届け続けた。若き日に感じた無力感を原動力に体を動かした。
当時、子どもは1歳と4歳。原発事故による放射線への不安で社会が混乱している中、子どもを屋外に出していいか、何を食べさせるか夫婦で悩んだ。2度目の震災が新たな苦しみをもたらした。それでも高校生の時とは違う、親としての責任感が背中を押した。「自分の手で子どもたちに明るい未来を渡してあげたい」と心に決めた。
勤めていた会社を辞して、子どもや若者の自立支援に取り組む福島市の「ビーンズふくしま」に入職した。仮設住宅での学習支援などに携わる中、コミュニティーが一変し、目にしたのは悩みを抱える子どもの姿。子どもが発するサインを捉え、人と人のつながりの中で丁寧に向き合う場を設けたいとの思いが膨らんだ。2018(平成30)年に「よしいだキッチン」、2020(令和2)年に子ども食堂を束ねる市子ども食堂NETを立ち上げた。現在の加盟は60団体となり、幅広い地域の子ども支援につなげている。
間もなく15度目の「あの日」が巡ってくる。今、抱いているのは、震災が起きた時に悩みを話せる「安全基地」のような存在になりたいという思い。地域の人々と連携できる関係づくりを心がけている。
「両方の震災を振り返ってできなかったことの方が多い。それでも地に足を着けて歩きながら、自分に何ができるかを問い続ける」と誓う。