福島のニュース
東日本大震災と東京電力福島第1原発事故が起きた日は、母校・大熊中の卒業式だった。この日、校歌を胸に刻んで卒業した福島県大熊町の堀本大樹さん(30)はこの歌を伴奏曲とした「おおくま体操」を考案し、今冬、披露した。学びやは原発事故により閉校。福島第1原発が立地する大熊町は一時、全町避難を余儀なくされた。一部で避難指示が解除された今も住民の帰還は思うように進んでいない。原発事故による避難生活がきっかけで鍼灸師となり、町民と接する中、「町民と町を何とかつなぎ止めたい」と思い立った。3・11から間もなく丸15年。「住民が元気に生活できる手助けがしたい」と誓いを胸に刻む。「最後」の卒業式で合唱
大熊町に生まれ、豊かな自然、温かな人柄の住民に囲まれて育った。熊町小を経て、大熊中に進学。中学時代はサッカーに打ち込み、校歌は毎日のように耳にした。「大熊の情景が浮かび、子どもの頃の記憶もよみがえる」と、歌詞に盛り込まれている若葉や熊川、太平洋、ナシなど町の魅力が詰まった歌が大好きだった。友人と共に3年間の日々を送り、2011(平成23)年3月11日、卒業式に出席。涙をこらえながら最後の校歌を堂々と歌い、学びやを巣立った。
式を終え、自宅に帰宅すると、突然、大きな揺れに襲われた。「何が起きたのか分からなかった」と恐怖を感じながら揺れが収まるのを待った。大熊町内に立地する福島第1原発で事故が起き、町は全町避難となった。家族とともに翌3月12日から古里を離れ、避難を開始。県内外を転々とし、約3週間後に大熊から約50キロ離れた福島県田村市の体育館に身を寄せた。体と心に寄り添える柔道整復師になる
避難所となった体育館には、大熊町民をはじめ、避難を余儀なくされた大勢の県民が集まっていた。小さな子どもから高齢者まで年齢はさまざま。スペースが限られるため、体を動かすのは限られ、一部の高齢者らが体の不調を訴え始めていた。一緒に避難した祖父も同じだった。
そのような人たちを支えたのがボランティアとして協力していた整体師、柔道整復師だ。高齢者らをマッサージし、体の調子を整えていた。体と共に表情が和らぎ、心身が元気になっていく様子を目の当たりにした。「手だけで体を楽にしている。すごい」と感銘を受けた。「自分も人の体と心に寄り添えるような人間になりたい」。柔道整復師になる夢を抱いた。
福島県いわき市に移り住み、原発事故で大熊町から市内にサテライト校を置いた双葉翔陽高に進学。その後、福島県郡山市の福島医療専門学校に進み、けがの状態も診ることができる柔道整復師、鍼灸師の資格を取得した。専門学校卒業後、いわき市の接骨院に就職。マッサージなどを通して市民らの体の不調に向き合った。古里を思い出す機会がほしい
柔道整復師や鍼灸師として実績を積む一方、大熊町の復興の行方を気に掛けていた。接骨院に勤務していた2022(令和4)年、大熊町は既に一部の避難指示が解除され、町役場や災害公営住宅が建設されていた。少しずつ住民が戻り始め、「自分なりに町民の力になりたい」と考えた。
2022年10月、いわき市の接骨院を辞め、独立の道を選んだ。依頼に応じて訪問する「出張整体」としての活動を経て、昨年3月からは福島県双葉町の地域活動拠点を間借りして整体サービスを始めた。
双葉町民をはじめ、大熊町民も多く訪れた。施術中の話題は自然と古里の思い出話が中心になった。「(復興まちづくりで)大熊の街並みが変わってしまった」「大熊を思い出す機会がほしい」。身の上話を重ねるうち、利用客は生まれ育った地域への思いを吐き出していった。戻らない町民
大熊町は2019年に大川原地区と中屋敷地区の避難指示が解除され、2022年には住民の居住再開を目指して除染やインフラ整備を進める地域「特定復興再生拠点区域(復興拠点)」の避難指示が解かれた。拠点内ではJR大野駅周辺の再開発が進み、町営住宅や産業団地も整備されるなど、復興への道を着実に歩んでいる。一方、居住人口は昨年12月末現在、住民登録者数9802人に対し、福島第1原発の廃炉作業に関わる東電社員らを含めて1524人。避難の長期化により、避難先で生活基盤を築き上げている点などを背景に帰還は思うように進んでいないのが現状だ。町は帰還する住民に対する住宅の補助制度などを設けているが、戻るのを決断する住民が少ないのを理由に利用は限られている。古里を離れて暮らす町民と町との絆をどう維持していくかが課題の一つとなっている。愛着ある校歌で
堀本さんも施術を通じ、同じ課題の認識を持っていた。「大熊への思いを深め、町民と町をつなぎたい」。同郷のよしみがやる気を奮い立たせた。
自分に何ができるか―。アイデアを巡らせた。健康づくりに関わる者としてひらめいたのが「大熊を懐かしんでもらえる体操」だった。町民になじみのある曲に合わせて体を動かせば、「郷土愛を取り戻し、健康維持にもつながる」との考えが浮かんだ。
伴奏曲にふさわしいと思いついたのが大熊中の校歌だ。1973(昭和48)年4月に創立し、大熊町内に新たに教育施設を整備するのに伴い閉校する2022年3月まで、約50年の歴史がある。震災と原発事故発生当時、町唯一の中学校だった。自身も大切にしてきた一曲だ。閉校に伴い校舎は解体されたため、校歌が流れる機会は失われていた。「学校の歴史と記憶をつなぐ意味もある」
校歌の音源の使用許可を町から得た上で、昨年8月から作り始めた。施術やアンケートを通じて町民から体の悩みを聞いた上で、振り付けを考案した。地域に伝わるよさこいを感じさせる前屈、ひねりや万歳など、誰でもできる簡単な動作を取り入れ、体全体がリフレッシュできる3分程度の内容にまとめた。名称は「おおくま体操」。高齢者らに配慮し、座りながらでもできるように工夫した。
今年1月、大熊町で体操をお披露目した。集まった町民らに振りを教え、歌詞に合わせて体を動かした。参加者からは「体がすっきりした」「校歌のメロディーが懐かしい」と好評を得た。以降、町内の公共施設に町民らを定期的に集め、体操を行っている。体操前には自身の経歴や町の現状を話す。「大熊の良さを伝えながら体操を広めていきたい」との決意は固い。いずれは大熊で
近い将来、大熊への帰還を検討している。町内で鍼灸接骨院を開くのが夢だ。今後も新たなまちづくりが進んでいく中、子どもから高齢者まで、町民が健やかに過ごす古里の明るい未来を思い描く。
「町民の皆さんのよりどころとなる鍼灸接骨院とし、患者に寄り添うことができる鍼灸師を目指していきたい。これからも復興の力になり続ける」※この記事は、福島民報とYahoo!ニュースによる共同連携企画です

