福島のニュース
福島県相馬市岩子[いわのこ]の横山はるえさん(88)と孫の憲臣さん(24)はアオサ(ヒトエグサ)漁に励んでいる。はるえさんは東日本大震災の津波で船を流失。東京電力福島第1原発事故に伴う生産見合わせを乗り越え再開した。憲臣さんは夫の亡き後も漁を続けるはるえさんを助けようと、3年前に岩子に移り住んで指南を受ける。アオサは松川浦が県内唯一の産地で、地元で「青ノリ」の名で親しまれる名産だ。「地域の宝を若い世代で守る」と奮闘する孫を、祖母は「頼もしくなった」と優しく見守る。
アオサの収穫は冬場に行われる。ノリに付いた植物やごみの除去など、相当の体力と根気が要る。最盛期のこの時期は午前5時30分ごろには出漁し、水揚げの後は脱水やごみ取りにいそしむ。はるえさんは帰港した孫に寄り添い、乾燥に費やす時間の目安や、容量を均等にする袋詰めのコツなどを丁寧に手ほどきする。
松川浦のアオサ漁は2017(平成29)年の再開以降、漁獲量を次第に回復させてきた。ただ、約60人いる漁師の3分の1は70代以上と高齢化しており、憲臣さんは「貴重な若手」だ。初夏に最盛期を迎えるアサリ漁にも従事するため、年間を通じて休みは限られる。厳しい環境を承知の上で、海の世界に飛び込んだ。
はるえさんは夫の美吉さんと共に、松川浦のアオサ漁と農業で生計を立ててきた。2011年3月11日に起きた震災では大津波に船や機械を流され、自宅も浸水した。70代半ばで生業を失い、しばらくは避難所暮らしを余儀なくされた。
追い打ちとなったのが原発事故だ。放射性物質の影響への懸念から生産が見送られる中、「漁師が生きる道」と踏ん張った。船や道具をそろえ直し、2017年の漁の再開を待って出直した。2021(令和3)年2月に美吉さんが82歳で亡くなった後も、親族らの手助けを受けながら操業を続けてきた。
憲臣さんは共働きの両親の下、宮城県富谷市で育った。父の実家にたびたび里帰りし、生き生きと働く祖父母に触れる中で「いつかは、海の仕事がしたい」との思いが生まれていった。
震災当時は小学3年生だった。教室を襲った強い揺れを忘れられない。家の水道や電気が止まり、物資さえ満足に手に入らない生活を体験した。仙台市の専門学校を卒業後、南相馬市の会社に自動車整備士として就職。社会に出た後も漁師への憧れは消えなかった。
「これ以上、ばあちゃんに重労働させられない」。80歳を過ぎても、伴侶を失っても漁を続けるはるえさんの力になろうと、2023年に転身を決めた。
自然が相手の仕事なだけに収量は海水温などの影響を受けやすい。経営の安定化に知識と経験が欠かせない。憲臣さんは「勉強が足りない」と自覚し、天候に応じた網の調整など必要な感覚を磨いている。趣味のドライブに行く前もノリ棚を確認する。周囲の先輩にも助言を仰ぎ、経営規模の拡大を目指す。「手をかけた分だけ、いいノリになる」という祖母の教えが、背中を押している。
「技術を伝えられる漁師になり、伝統を守る仲間を増やす」と夢を語る憲臣さんの姿に、はるえさんは「一生懸命さが伝わる。最近は口を出すことも減ってきた」と目を細めている。

