【復興検証 震災・原発事故15年】第5部 自主避難➋ 偏見、分断苦悩に拍車 賠償と自立支援充実を

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【復興検証 震災・原発事故15年】第5部 自主避難➋ 偏見、分断苦悩に拍車 賠償と自立支援充実を

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福島県郡山市で飲食店を営んでいた50代男性は東京電力福島第1原発事故を受け、金沢市に避難した。幼い娘2人を守るためだ。京都市で12年間暮らし3年前に県内に帰還した。
仕事を失い、心身に不調を来した。周囲の偏見にもさらされた。自分の判断が正しかったのか。今も葛藤する。「小学生だった長女が成人した。子どもの成長だけが救いかな」。スマートフォンの家族写真を眺めながらつぶやいた。
2011(平成23)年3月の原発事故直後、放射性物質という「得体の知れない存在」に恐怖を感じた。同12日、家族や従業員ら約20人を車3台に分乗させ、当てもなく逃げた。「わが子を守る」その一心だった。残した従業員や取引先、家族の今後が心配で「頭にモヤがかかった」感覚に襲われた。5月ごろ、人生初の心療内科を訪ねると、不眠症、うつ病などと相次ぎ診断された。仕事に就けず、暮らしは追い込まれた。
避難先で会った相手に福島から来たと明かすと「賠償があるから大丈夫だね」と返された。避難区域からの避難者に精神的苦痛に伴う賠償が続いていたころだ。自分は対象外だが、混同されたのだろう。訂正する気にならなかった。
県内に一時、戻った際も周囲との接し方に悩んだ。ある取引先に避難の理由を問われ「娘たちのため…」と言いかけ、言葉をのみ込んだ。相手も幼い子の父親だった。「逃げないのがおかしいと思っていると受け取られないか」。何も言えなかった。
やがて、県内で暮らす母親に病が判明した。戻るべきかを迷った末、看病と娘の成長を考え、2023(令和5)年3月に郡山に戻った。
自主避難者への支援は十分だったのか。経済的な面を見ると、国の賠償基準に当たる中間指針で「自主的避難等対象区域」とされた福島、郡山両市など中・浜通りの23市町村の場合、これまでに子どもと妊婦には1人当たり最大計72万円、それ以外の住民には計20万円が支払われた。「現状の賠償額では生活再建を十分に助けたとは言えない」。避難者から相談や訴訟に長年応じている弁護士の渡辺淑彦(55)=いわき市=は、そう評価する。
2011年10月。渡辺は事故に伴う賠償の在り方を議論する原子力損害賠償紛争審査会(原賠審)の意見聴取に県弁護士会を代表して臨んだ。同年8月に原賠審が示した中間指針では、自主避難者への対応は定まっていなかった。
「子どもたちにどんな影響があるか、分からない。怖くて逃げた行動が『自主』避難と言えるのか」。自身も子どもを連れて一時、県外に出た経験があった。怒りを帯びた声で約30分間、自主避難者の窮状と苦悩を語った。
それから約2カ月後に中間指針第1次追補が出され、自主避難者への一律賠償が認められた。「避難を続けられる」と安堵[あんど]する母親の声を聞き、自らの主張が届いたと感じた。
ただ、避難者を取り巻く事情はそれぞれ異なり、一律賠償による救済効果には限りがある。東電によると、2月27日現在、自主避難者からの賠償請求は延べ約207万件に上り、延べ約200万件(計4485億円)ほどを支払った。
渡辺は事故から15年が迫る今、避難者が抱える課題はさらに多様化・細分化しているとみる。一人一人が悩みを相談でき、自立に向けて専門家の後押しを得られる仕組み(災害ケースマネジメント)が欠かせないと語る。地震国で原発を再稼働させる以上、福島のような事故が再発する恐れはゼロではないと指摘。「賠償と自立支援を両輪で充実させることで、初めて生活再建が可能になる」と、国に教訓を踏まえた対応の検討を求めている。(文中敬称略)