【あなたを忘れない】穏やかで芯の強い母 避難時に死去 元気な姿、今も夢に 石井エイさん当時91 福島県川内村

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【あなたを忘れない】穏やかで芯の強い母 避難時に死去 元気な姿、今も夢に 石井エイさん当時91 福島県川内村

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東日本大震災と東京電力福島第1原発事故の避難で、多数の犠牲者を出した福島県大熊町の双葉病院。発災当時、双葉病院に入院していた石井エイさん=当時(91)=はいわき市の高校に避難中に命を落としたとみられている。長男の石井芳信さん(81)ら家族が高校に駆け付けた際は、すでに変わり果てた母の姿があった。後に震災関連死(原発事故関連死)に認定された。「家族みんなで、きちんと見送ってあげたかった」。無念さは15年たった今も残り続ける。
エイさんは川内村で5人きょうだいの長女として生まれた。20歳になる前に同村の秀夫さんと結婚。秀夫さんが仙台市で電話関連の事業を立ち上げたため、女手一つで6人の子どもを育てた。野菜やコメを作る傍ら、農協のミルクプラントで牛乳の瓶詰め作業に従事した。子育てに仕事にと忙しい日々を送ったが、その苦労は見せず、穏やかで芯の強い人だった。「お世話になった人に恩を返しなさい」が口癖だった。
子育てが落ち着くと、旅行を楽しみ、北海道や九州など各地を訪ねた。2005(平成17)年ごろ、腰の骨を折ったことから双葉病院に隣接する介護老人保健施設ドーヴィル双葉に入所。「子どもたちがちゃんと育ってくれて幸せ。長生きしたい」とよく口にしていたという。
2011年3月上旬、体調を崩して双葉病院に移った。約1週間後の3月11日昼ごろ、芳信さんの妻愛子さん(76)が病院で面会し、一緒に昼食を食べた。帰り際、いつもと変わらぬ様子で「また来てくんちぇえ」と言って愛子さんを見送った。家族がエイさんの元気な姿を見たのは、それが最後となった。
発災直後、村教育長だった芳信さんは被害状況の把握や全村避難などの対応に追われていた。家族はエイさんが無事だと聞いていた。しかし、三男の石井英直さん(74)=仙台市=から、双葉病院の患者が避難中や移動後に死亡したとの情報がインターネット上に出ていると伝えられた。「そんなはずはない」。村の全村避難後の17日ごろ、英直さんらと共に情報を頼りにいわき市の高校に駆け付けた。多数の遺体が白いシーツにくるまれ、冷たい床に並んでいた。顔は隠れていたものの、エイさんの体の上には施設で使っていた名前入りの座布団が置かれていたため、一目で分かった。「一人一人の顔を見て捜さなくていいよう、知らせてくれたのかもしれない」。シーツをめくりエイさんの顔を確認すると、いつも通りの穏やかな表情をしていた。
死因は低体温症だった。いつ亡くなったのかはっきりとは分からない。死亡診断書には「3月14日『ごろ』」と記されていた。曖昧な日付が、誰にもみとられず、寒い中で一人寂しく息を引き取った姿を思い起こさせ、無念さや申し訳なさがこみ上げる。
震災から15年。当時の記憶は少しずつ薄らいでいくが、芳信さんや英直さんの夢には今も元気だったころのエイさんがたびたび現れる。芳信さんは5年ほど前、趣味の墨彩画で母親をイメージした見守り観音の絵を描き、きょうだいに贈った。絵に触れながら「これからもみんなを見守っていてね」と穏やかな表情で語りかけている。