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福島県内各地で静かな追悼の時間が流れた11日、県民は東日本大震災と東京電力福島第1原発事故が起きた15年前の記憶と失われた命に向き合い、一歩ずつ前進すると決意を新たにした。遺族は最愛の家族の冥福を改めて祈りながら、故人に誇れる古里再生の実現を誓った。
「今もあの日から秒針が止まったままの時計がある」
福島市のパルセいいざかで行われた県の追悼復興祈念式で遺族代表の言葉を述べた浪江町出身の会社員鈴木祥高[よしたか]さん(43)=相馬市=は、父謙太郎さん=当時(64)=を津波で亡くした。癒えない悲しみを、時計に例えて表現した。
尊敬する父への感謝を胸に言葉を紡いだ。15年前、浪江町の海沿いにある棚塩地区で、花木生産を営む謙太郎さんら家族6人で暮らした。責任感が強かったという謙太郎さん。仕事や地域活動などの頼まれ事は絶対に断らなかった。「周りから頼りにされる存在だった」
震災直後、謙太郎さんは近所の高齢者らを高台に避難させた後、管理を担っていた地元の水門を閉めに海沿いに戻った。引き止める周囲を振り切ったと後に伝え聞いた。地域を守ろうと行動したとみられる。
鈴木さん自身も職場のある南相馬市から浪江町の自宅に戻る途中で津波に遭った。発災翌日に他の家族と合流できたが、謙太郎さんとは連絡が取れなかった。捜索はがれきや水に阻まれ、福島第1原発の水素爆発で避難を余儀なくされた。謙太郎さんとの対面は約1カ月後。遺留品の情報を基に訪れた相馬市の遺体安置所だった。「全てたちの悪い夢だったのではないか」。15年を経ても鈴木さんの心から、哀傷は消えない。
歳月の経過による風化を憂う。遺族代表の言葉では国・政府関係者に向け、「福島を過去の出来事として片付けないでください」と訴えた。「被災地を見て、小さい声にも耳を傾けてほしい」と求めた。
寄せられた支援が少しずつ背中を押してくれた。父のような人間になりたいと、子どもの前では「無理」「できない」といった言葉を使わないよう心がけている。
いつか地域再生を果たし、いい報告ができるよう一日一日を大切に歩む―。最愛の人の笑顔を思い、止まった時計が動く未来を見つめる。■「活気があった街を忘れない」「大切な人への思い消えない」
県民、鎮魂の思い巡らせる
被災地の浜辺では11日、県民が鎮魂の思いを巡らせた。古里の在りし日の姿に思いをはせる人、失われた命を悼み手を合わせる人らが静かな時を過ごした。
南相馬市小高区の村上海岸では午前9時5分ごろ、会社員の女性(33)がたたずんでいた。津波で小高川が氾濫し、村上海岸近くの実家を失った。海岸は幼少期に遊んだ場所。節目の度に訪れている。「活気があった頃の街を忘れてほしくない。私も忘れない」。心情を吐露した。
いわき市の薄磯海岸では午後3時過ぎ、会津若松市出身の30代女性が波打ち際に花束を立てた。いわき市内で働いていた医師の父親は津波に巻き込まれたとみられ行方不明のまま。7、8年前に薄磯海岸で運転免許証が見つかったことから、毎年3月11日に東京から駆け付けて弔いを続けている。4人の友人もいわき市で津波に遭い亡くなっている。親しい人と対話するかのように花を見つめ、「15年の歳月が流れても大切な人への思いは消えない」と悲しんだ。

