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福島県猪苗代町出身の世界的医学者・野口英世博士は青年時代、古里の親友の妹と結婚を望んでいた―。医学を志して上京した野口博士が無二の友、八子弥寿平[やすへい]に宛てた一枚の手紙が20日から初公開される。弥寿平の妹とき子との結婚を考え、本人との面会を段取るよう求めた21歳の「恋文」だ。縁談には至らなかったが、八子家は野口博士を物心両面から支え続けた。気の置けない相手に心情を打ち明ける若き医聖の姿や、弥寿平との絆の強さを改めて示す史料となりそうだ。
手紙は1898(明治31)年1月、東京から猪苗代町の八子家に届いた。野口博士は前年に医術開業試験に合格している。手紙には「とき子と面会の上、話をしたい。これは終生を共にする要件」などと結婚への意欲がつづられている。野口博士は貧しい農家出身のため、裕福な八子家との縁組には「障害がある」と成就を不安視する様子もしたためられている。
当のとき子は高等師範学校に進学するため、上京していた。以降の2人の詳しいやりとりは分かっていない。野口博士は24歳で渡米し、35歳でメリー・ダージスと結婚。一方、とき子は高等師範を出て帰郷し、教師として教壇に立った。
弥寿平は野口博士と猪苗代高等小学校時代の級友。野口博士が幼少期にやけどした左手を1892年に手術した際には費用を工面し、会津若松市にあった会陽医院まで迎えに行くなど、生涯にわたり野口博士を応援し続けた。
手紙には「弥寿平にのみ申し伝える」と添えられていたため、八子家は「門外不出」の文物として扱い約130年間、一般に公開せずに保管してきた。八子家から野口英世記念館(猪苗代町)に寄託されたのを機に、初めて館内で展示することとなった。
弥寿平の孫で記念館の元館長、弥寿男[やすお]さん(88)=猪苗代町=は「史実として広く知ってもらいたい。野口博士が弥寿平に伝えた思いを感じ取ってほしい」と話している。
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野口博士の初恋の相手としては、会津女学校(現葵高)に通っていた山内ヨネが知られる。とき子との関わりは一般に伝えられてこなかった。記念館の学芸員森田鉄平さん(50)は「自分を援助してくれる八子家と縁を結べば『安心して研究に打ち込める』との考えもあったのではないか」と野口博士の内面を推し量る。「博士にとって弥寿平が最も身近で、頼れる存在だったことは間違いない」と2人の絆の強さを強調する。
手紙は記念館で20日に開幕する特別展「1876年11月9日野口英世誕生セリ!!」で展示される。野口博士生誕150年の節目に合わせ、恩師や友人と交わした手紙などを通し、親交のあった人々から見た野口博士の姿を紹介する。直筆の書なども並ぶ。会期は来年3月14日まで。問い合わせは記念館へ。

