3.11/それぞれの15年 大熊町から須賀川市 鎌田清衛さん 83 特別な夕日これからも 春分の日、山頂に重なり沈む眺め 中間貯蔵内の神社守る

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大熊町の郷土史家鎌田清衛さん(83)=須賀川市に避難=は同町小[こ]入[いり]野[の]地区の海[み]渡[わたり]神社と近くの日[ひ]隠[がくれ]山[やま]の歴史や景観を伝えている。春分の日と秋分の日、神社から見る夕日が山頂に重なり沈む眺望を発見。山名の由来と突き止めた。自宅や神社が東京電力福島第1原発事故に伴う除染土壌の中間貯蔵施設に入ると、地域の歴史や自然に関する本を出すなど保全に励んだ。春分の日の20日、境内から仲間と日の入りを見届け「古里の記憶を将来につなぐ」と誓いを新たにした。「来年こそは町民みんなで見たいね」。鎌田さんは20日夕、山影に沈む夕日を眺めてつぶやいた。恒例の「夕日を見る会」は雲に遮られ、山頂に沈む太陽をはっきりとは視認できなかったが、差し込む暖色の光を写真に収めた。「住民が集う貴重な機会。今後も会を通して絆を強めたい」とほほ笑んだ。5歳で茨城県から大熊に移り住んだ。ナシ園を営む傍ら1996(平成8)年に町生涯学習団体「おおくまふるさと塾」に入った。地域の歩みを調べる中、日隠山が「ひがくれ」と呼ばれる理由が気になった。1988年の春分の日、山頂に沈む夕日に遭遇。「春分の日と秋分の日は山頂に日が落ちる」との仮説を立てて調査を続け、山名が日没に由来すると結論付けた。地域おこしに向けて「夕日を見る会」を初めて計画したのは2011年の春分の日だ。ただ、直前に起きた東日本大震災で中止となり、その後の全町避難を受けて須賀川市に避難した。自宅や神社は除染で出た土を保管する中間貯蔵施設予定地に含まれた。「復興のため施設は受け入れる。町の歴史を伝える古跡は残してくれ」。用地交渉に来る環境省の担当者に神社の保存を訴え、2014年には神社と山の歴史を記した「日隠山に陽は沈む」を自費出版した。保存の声の高まりは「残ると思う」という国の態度を引き出した。愛着ある土地を離れた後も、大熊の歴史を埋もれさせまいと文筆に精励した。合併前の旧大野村初代村長の功績を本紙連載にまとめた。2017年には地域の歴史を記した「残しておきたい大熊のはなし」を出し、2022(令和4)年には続編も発刊した。神社周辺は2014年ごろから、国の許可を得れば一時立ち入りが可能となった。「ふるさと塾」は古跡を巡るツアーを不定期に開き、鎌田さんが解説役を担う。今なお立ち入りが制限される場だからこそ、その存在を発信し続ける重要性を説いてきた。年齢を考え、昨年で活動の一線からは退いたものの「声がかかれば、町の歴史を解説したい」と情熱は衰えていない。被災からの歳月の経過につれて懸念される風化を防ぐ使命感を持ち続けている。【情報をお寄せください】電話024(531)4122メールアドレスhoudou@fukushima-minpo.co.jp